九十九里浜片貝海水浴場からは、海岸線に沿った九十九里有料道路にて海を眺めながらの快適ドライブとなる。
九十九里浜からの砂浜〜太平洋〜丸い水平線〜大空は、改めて地球の丸さ・大きさを感じさせ観ていて飽ない。
九十九里の水平線から登る日の出もまた素晴らしい!海から昇る真っ赤な太陽を露天風呂から眺めれば極楽だ。
日の出(残念ながら雲間から)
玉前神社
九十九里有料道路出ると、一宮町に上総国一之宮「玉前神社」が鎮座しているので、恒例につきご参詣していく。
玉前神社は1200年以上の歴史がある格式高い古社で、ご祭神として神武天皇の母君・玉依姫命が祭られている。
古代から「上総の裸まつり」等の浜降り神事も行われ、女性の守護神社として縁結びや安産などにご利益がある。
一の鳥居
三ノ鳥居
さざれ石
本殿参拝
本殿に参拝して、授与所にて御朱印をいただいたら、本殿西奥にある「はだしの道」を裸足になって3回廻󠄂る。
ご参拝が済んだら、参道口にある和菓子店にて、旅のお供の甘味を買い求めたら、海岸線道路に出て南下する。
外房海岸
一宮町を過ぎたいすみ市の太東崎にて砂浜「九十九里浜」は終わり、以南は外房の変化に富んだ海岸線となる。
太東崎から房総半島先端州崎までの外房海岸線には、美しい海岸景勝地と共に有名な観光施設が連続して在り、
巨大な温泉宿も建ち並んでいる。そんな景勝地を寄り道観光しながら、房総半島先端の都市「館山」まで走る。
外房には何度となく来ていて初めての場所は少ないが、太東港を過ぎ地元道を海岸に出ると「夫婦岩」がある。
津々が浦の夫婦岩
八幡岬公園
太東崎を過ぎたら、御宿を通り越し、勝浦の市街地の南東にあり、かつて勝浦城があった海に突き出た八幡岬。
八幡岬突端は公園として整備され、展望デッキから雄大な太平洋と勝浦灯台、勝浦湾を一望することができる。
八幡岬から勝浦灯台
旧遠見岬神社の海中鳥居
勝浦湾対岸の海中公園
八幡崎公園駐車場から勝浦灯台〜官軍塚を見学して、国道に戻る。
勝浦灯台から八幡崎
勝浦灯台
魚見塚展望台
勝浦から鴨川まで走り、鴨川海岸の先にある鴨川漁港の内陸側小高い丘にある魚見塚展望台へ寄り道していく。
鴨川繁華街を過ぎ隧道を抜けた先を左折し、さらに細脇道を上がると魚見塚一戦場公園駐車場があるので駐車。
かつて、漁師達が沖合いにくる魚の群れを見張っていたことから名付けられた「魚見塚展望台」へ徒歩で行く。
地元道を進むと、コンクリートのスロープ階段が現れ、上り詰めると正面に誓いの丘展望台と女神像が現れる。
誓いの丘
女神像
左手に鴨川繁華街を望む
右手に仁右衛門島方面
誓いの丘をさらに進むと魚見塚浅間神社があるのでご参拝
「キョン」発見! 南房総に大繁殖しているという「キョン」がいた。どこ?
野島崎
鴨川から館山に向け海岸線を走ると、房総最南端の地「野島崎」があるので、最南端の先っぽまで行ってみる。
房総最南端の地〜野島崎灯台
絶景「朝日と夕陽の見える岬」南房総白浜サンライズPoint
安房神社
海岸沿いを館山市に入ると、日本三大金運神社の一つで今年最大の金運スポット安房国一ノ宮安房神社に参詣。
安房神社「上の宮」の主祭神は、日本における全ての産業の総祖神とされる「天太玉命」(アメノフトダマノミコト)。
大鳥居
上の宮本殿
下の宮
今年最大の金運スポットに参拝したので、今年の金運は大丈夫?かな?
と、信じて、今宵の宿「たてやま温泉」へ。
明日は、内房から東京都心を経て帰ろう。
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九十九里へ
東国三社参りを済ませたら、利根川河口の銚子市へ向かう。香取神社から3km程走った沿道にちょっと気になっ
ていた朱色鳥居の稲荷神社があるので寄り道して参拝。関東三大稲荷と言われているらしい多田朝日森稲荷神社。
多田朝日森稲荷神社
銚子市
銚子市は、住まう群馬県より流れ出る利根川河口の南、関東最東端に位置し、全国屈指の水揚数量を誇る銚子漁
港を擁する国内最大規模の水産都市。香取市から銚子へは、利根川沿いを行けば良いのだが、最短時間ルートは
利根川と常陸利根川間の中州→合流地点からは茨城県側を走り、河口近くで銚子大橋を渡り銚子市街地に入る。
先ずは、市中心に建つ坂東三十三ケ所観音霊場二十七版札所の飯沼観音・圓福寺を参詣し旅の安全を祈願する。
飯沼観音・圓福寺
飯沼観音
銚子大仏
五重塔
参詣が済んだら、近くの丼屋七兵衛にて銚子港であがった新鮮な青魚をつかった「極上さば丼定食」を味わう。
極上さば丼
犬吠埼
満腹となったら、最東端に突き出た犬吠埼へ。犬吠埼は、三方を海に囲まれた海食台地で、断崖絶壁の下にある
無数の岩礁に荒波が砕ける絶景地。岬先端に白亜の犬吠埼灯台が建ち、銚子観光のシンボル的存在となっている。
犬吠埼灯台
灯台地上高31m
灯台下岩礁
海食海岸
君ヶ浜を望む
屏風ヶ浦
犬吠埼から海岸線を行くと、銚子市から旭市刑部岬まで約10kmに渡り40m〜50mの断崖が続く屏風ヶ浦がある。
切立った連続する断崖は、英仏海峡ドーバーの白い壁にも匹敵するといわれ「東洋のドーバー」?とも呼ばれる。
断崖絶壁
屏風ヶ浦東端は、銚子マリーナの先で観ることができるが、崖上部を走るドーバーラインから観ることができない。
屏風ヶ浦
屏風ヶ浦最西端の刑部岬には、飯岡灯台や飯岡刑部岬展望館があり断崖の一端と太平洋を眺めることができる。
飯岡灯台
刑部岬で絶壁の海岸線は終わり、飯岡漁港からは海岸線は砂浜に変わり、「九十九里浜」が始まる。
刑部岬から飯岡漁港〜九十九里浜を望む。
九十九里浜
九十九里浜は、旭市の刑部岬からいすみ市の太東崎まで及ぶ、太平洋沿岸に面する全長66km日本最大級の砂浜。
全域が千葉県立九十九里自然公園に指定されており、日本の白砂青松100選、日本の渚百選に選定されている。
飯岡漁港より九十九里ビーチラインを南下するが、走行中は海岸線が見えないので、九十九里浜のほぼ中央の
九十九里ビーチタワー(不動堂海水浴場)に寄り道して、海岸にでて冬の九十九里浜の波飛沫を観じてみる。
九十九里浜で強烈な海風をあびたら、今宵の宿にチェックインして、海鮮料理と熱い温泉を楽しむことに。
明日は、外房を館山へ
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東国三社は、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、神栖市の息栖神社、千葉県香取市の香取神宮の三社をまとめた呼び名。
鹿島→息栖→香取各間は直線10km程の距離で直角2等辺三角形をなし、中では不思議な事が起こると言われる。
江戸時代には「下三宮参り」や「お伊勢参りみそぎ参り」と呼ばれ、伊勢神宮の帰りに立ち寄る慣習があった。
この三社参りのご利益がとてもすごいと、当時から相当な人気を誇り、現代に至っても運気を上げたい多くの
人々が訪れる関東屈指のパワースポットとなっている。
そんな東国三社参りを、今年も年明け早々、3年連続で詣でてきたので記録と記憶に残すためブログにアップ。
先ずは、茨城県の鹿島神宮を目指して、早朝に自宅を出発して、伊勢崎ICより北関東道→東北道→北関東道と
乗り継ぎ、最終鉾田ICを下りて、北浦東岸沿いを走れば3時間ほどで、常陸国一ノ宮鹿島神宮に着く。
鹿島神宮
大鳥居脇の第一鹿島神宮駐車場に車を駐めたら、大鳥居をくぐり境内へ
鹿島神宮大鳥居(二ノ鳥居)
参道を行けば楼門、鹿島神宮の楼門は日本三大楼門の一つ
先ずは右手の本殿参拝
鹿島神宮の創建は紀元前660年、日本最古の東国三社の一つで御祭神は「武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)」
雷、剣、相撲の神、地震の神とも崇められ、日本に地震を引き起こす大ナマズの頭を押さえつけるとされる。
今年は、昨年まであった「令和の大改修」の足場も外れて、改修された美しい本殿が現れている。
本殿参拝が済んだら、さらに直進して奥参道入り口より広い「樹叢(じゅそう)」と呼ばれる鹿嶋の森をいく。
奥参道
広い奥参道を進むと、左手に「鹿園」があるが横目で眺めて直進すると、突当たりの右手にある「奥宮」参拝。
奥宮の左を進むと、武甕槌大神がナマズの頭を押さえつける石碑。
御祭神の「要石」。
要石
大ナマズの頭を押さえるのは鹿島神宮の凹の要石で、尻尾は利根川越えた香取神宮の凸の要石と言われている。
要石を拝んだら奥宮に戻り、コンクリート舗装の林間道を下ると甘味処があり、その先に御手洗池がある。
御手洗池
この御神水に大寒20日には多くの信者が禊ぎを行う。昨年は見ることができたが、今年は日が合わなかった。
御手洗池の側の甘味処で、鹿島神宮献上酒「神の池」を購入して、本殿に戻り社務所にてご朱印を頂き、次なる
東国三社「息栖神社」に向かう。
息栖神社
息栖神社は、2000年以上の歴史をもち、東国三社の一つと称されることから、古来より多くの文人墨客が訪れ、
水上交通が盛んな頃は息栖河岸とともに賑わいを創り出してきた。息栖神社の主神は久那斗神(くなどのかみ)、
相殿に天鳥船神(あめのとりふねのかみ。交通守護の神)、住吉三神(海上守護の神)を祀っている。
一ノ宮の鹿島神宮、香取神宮に比べると規模、格とも劣る気はするが前面に東国三社を謳うのは息栖神社のみ。
息栖神社二ノ鳥居前の駐車場に車を駐めたら、先ずは二ノ鳥居をくぐり境内参拝へ
参道を進むと神門
正面に社殿
社殿参拝、ご朱印受領が済んだら、常陸利根川船溜り沿いにある一之鳥居へ。
大鳥居の両側には「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる四角い井戸があり、この井戸が息栖神社の主神「久那斗神
(くなどのかみ)」。日本の神様の中でも珍しい"井戸の神様"。
忍潮井
常陸利根川堤防から船だまり〜大鳥居〜息栖神社
霞ヶ浦・北浦より流れ出る常陸利根川、この後利根川本流と合流する。
常陸利根川、利根川を渡り千葉県香取市の香取神宮へ向かう。
香取神宮
下総国一ノ宮香取神宮は、全国に約400社ある香取神社の総本社、歴史は2,600年前に遡り伊勢神宮、鹿島神宮
と並んで神宮の名称を使用することを許可された由緒正しい神社。
ご祭神は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を祀り、古くは武運を祈願する神様として、現在は家内安全・
交通安全・縁結び・安産など、幅広いご利益がある神様として信仰されている。
鹿島神宮と共に守護神として関東を守っていて、千葉県最強の霊力を持っているパワースポットと言われている。
表参道商店前の第1駐車場が混んでいたら、旧参道を登り楼門近くの第2駐車場に駐めるのが通、参拝開始する。
楼門
本殿拝殿参拝。
参拝が済んだらご朱印を頂き、本殿脇を奥に進み茶屋「寒香亭」で一休み。
だんごと甘酒
一休みしたら、参道を二ノ鳥居まで下る。
総門
表参道
奥宮
香取神宮要石凸
大鳥居(二ノ鳥居)
これで東国三社参り完了、今年も運気アップは間違いない!!
東国三社参りの後は、利根川沿いを銚子に向かい美味い魚を食そう。
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そして 群馬 へ帰る
あじ温泉
四国旅最後の宿泊地は。四国最北端となる庵治半島先端近くの一軒宿「あじ温泉庵治観光ホテル海のやどり」。
昨日が山奥の秘境宿「祖谷温泉」だったので、今日は高松市に近い海辺の温泉宿で海鮮を食べようと宿泊した。
鯛のかぶと煮
あじ温泉は、庵治半島先端の江の浜漁港を見下ろす高台に古くから建つ温泉宿で、瀬戸内海の眺望が素晴らしい。
部屋からも、近くの鎧島〜兜島から豊島や小豆島が見渡せ、行き交う漁船や高松から関西への旅客船が見える。
江の浜漁港
鎧島〜兜島から
海鮮料理も、新鮮な刺身、鮑やサザエ等々とても美味い、難点は量が多いことと、施設がちょっと古いことか?
四国最北端
早朝温泉にて身を清め、朝食を済ませたら、早めに宿を出て、2km東にある四国最北端「武居岬」に行ってみる。
県道より細い道を左に折れると、すぐに正面に瀬戸内海、手前の防波堤に「四国最北端」の碑が取付けてある。
ちょっとしょぼいが、今回四国最東端〜最南端〜最北端の地を踏んだ。最西端の愛媛県「佐田岬」は、かの昔に
行ったことがあるので、これで四国東西南北四端制覇ということに。写真を撮ったら、次なる「屋島」へ向かう。
四国最北端「武居岬」
よく走りましたNX
屋島
屋島は、高松市の北東、庵治半島との間にある南北に長い台地状の地で、名称は屋根のような形状に由来する。
江戸時代まで陸から離れた島だったが、その後に始まった塩田開発と干拓水田により埋立てられ陸続きになった。
山上からは波穏やかな瀬戸の海と一体となった高松市街や多島美が一望でき、山上に四国霊場第84番札所の南面
山 千光院「屋島寺」や世界的にも珍しい山頂の水族館「新屋島水族館」等があり、屋島スカイウェイからの眺望
も素晴らしい。屋島スカイウェイを上りきり、屋島山上観光Pに駐車し、展望台を目指して歩き出す。
屋島展望台に行くには、屋島寺を通り抜けて行くので、四国最終日にして始めて四国霊場札所にご参拝する。
屋島寺門
屋島寺赤鳥居
屋島寺を抜け、左に進んで両側の土産物屋を過ぎると、正面に高松港や瀬戸内海の島々を見下ろす獅子の霊巌展
望台となり、右手に独創的な建物の「やしまーる」、左にはオシャレな「れいがん茶屋」が現れる。
高松港
高松市街
獅子の霊巌展望台から、高松市街地を始め男木島や女木島など、瀬戸内海の抜群の眺望を満喫できる展望できる。
「やしまーる」は、2022年8月にオープンした高松市屋島山上交流拠点施設で、ガラス張りの回廊に展望台やカ
フェ、パノラママアート館などが併設されている。入場無料のようなので、中に入り一通り見て回るが、奇抜な
デザインは面白いが、機能的か役に立つかは??
やしまーる外観
やしまーる外観
やしまーる回廊
やしまーる回廊
屋島神社
屋島スカイラインを下り、麓にある讃岐東照宮 屋島神社に参拝する。屋島神社の祭神は徳川家康と松平頼重。
駐車場が一杯なので、人気の神社かと思ったが参拝者は他になし。隣接の四国民家博物館(四国村)客らしい。
屋島神社
屋島神社拝殿から
屋島神社の参拝を終えたらいよいよ帰路につくが、まだ昼前なので淡路島に上陸し洲本城を見ていくことにする。
屋島から洲本城へは、約100km、国道11号より高松自動車道に入り、鳴門JCTから神戸淡路鳴門道を進み大鳴門
橋を渡れば、これで四国とはお別れ。洲本ICで高速を出て、洲本市街地に進めば高台に洲本城天守が見えてくる。
洲本城
洲本城は、大永6年(1526)、三好氏の重臣・安宅治興が築城し、その後、羽柴秀吉により城主となった脇坂安
治が、城の大改修を行い、天守を造営するとともに、現在も遺る石垣の大改修をし、「登り石垣」が築かれた。
脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609)、事実上の廃城となるが、その威容は、今なお保ち続けられている。
石段
現在ある天守擬きは、1928年(昭和3年)に、RC製で築造されたもので、模擬天守としては日本最古のもの。
天守が現れる
遠目で見ると天守閣のようだが、展望台として造られたらしい。現在、階段が取り外され、登ることは不可。
洲本城展望台
洲本城址展望台から洲本市を望む
月見台展望台から紀伊水道を望む
洲本城 模擬天守
洲本城からの展望を楽しんだらいよいよ自宅へと帰途につく。洲本市内でGS給油して、昼食を調達したら出発。
帰路は約580km、洲本中央ICから神戸淡路鳴門道に入り、明石海峡大橋を渡れば本州となり、神戸を抜けるのに、
往路と異り、右回り海岸沿いの阪神高速3号から名神高速西宮線を走り、吹田JCTからは往路と同行程にて帰る。
12:00に洲本城を出発し、途中2〜3回の休息を入れて、8時間弱の運転に群馬県の自宅に到着、お疲れ様でした。
総走行距離2,425kmを一人運転、愛車LEXUS NXもよく走りました。3年乗ったNXはもうすぐ新車に入れ替える。
次は新車でどこへ行くか計画しよう!四国へも機会があれば訪れ、酷道険道を走り四国の魅力を味わいたい!!
長かった四国一周旅もこれで 終わり
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国道32号(319号)を吉野川沿いに走ると、池田ダムがある。池田ダムは上流の早明浦ダムとと連携し、吉野川総
合開発の要として香川用水と吉野川北岸用水に分水する役割を担うなダムで「四国のかなめ」とも呼ばれている。
四国のかなめ「池田ダム」
型式:重力式コンクリート、高さ:24m、堤長:247m、総貯水容量:12650千m3、有効貯水容量:4400千m3
金刀比羅宮
池田ダムを過ぎると、国道は左に曲がり北上し徳島県と香川県との県境に位置する讃岐山脈を新猪ノ鼻トンネル
にて抜けると香川県となる。さらに国道を13kmほど進み琴平町となり、左に折れると金刀比羅宮前に到着する。
金陵の郷(金陵酒造)裏の広い駐車場に車を駐め、金陵の郷を抜ければ金刀比羅宮表参道となる。参道には土産
物屋や飲食店、宿泊施設が建ち並び、多くの観光客・参拝者で賑わう。
レトロな温泉宿敷島館
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山に鎮座する神社で、明治初年の神仏分離以前は
金毘羅大権現と称していて、明治初年以降に神社になってからの通称は「金比羅さん(こんぴらさん)」。
御本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇で、古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されている。
石段1,368段目の山中に、金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命をお祭りする厳魂神社(奥社)が鎮座している。
いよいよ階段上りが始まる。
100段
一の坂鳥居113段
大門365段
大門を過ぎると神域となり、参道両側の土産物屋が無くなり、両側には石塔が建ち並ぶ。
桜馬場を歩き、桜馬場西詰銅鳥居431段
階段を上って477段、木馬社500段、鳥居をくぐり、階段を上り詰めれば旭社があるのでご参拝、旭社前628段
賢木門をくぐり、手水舎652段
さらに階段を上りきって、金比羅宮御本宮が眼前に現れる。
御本宮785段
本宮前広場より瀬戸内海を望む
先ず、御本宮に参拝したら、さらに奥社を目指し、本宮右手より参道を進む。
奥社への参道
奥社への参道は、参拝者も減り、木立の中となり日陰となるので歩きやすく、早足にて進む。
白峰神社923段
途中、急な石段もあるが、一人道となったので、さらに進むと奥社:厳鬼神社が見てくる。
奥社:厳鬼神社
厳鬼神社までの1368段それほどのこともなかった。ご参拝したら、ご朱印を受領し、御本宮に戻る。
御本宮に戻り、改めて参拝し、ご朱印を頂き、本宮隣の三穂津姫社にご参拝して、帰りルートから下り始める。
御本宮側面
奥社から1368段の石段を下りきり、金陵の郷にてお手頃な純米酒を買ったら、次なる目的地「丸亀城」を目指す。
丸亀城
金比羅さんより、再び国道32号に出て、丸亀市に入り、国道より瀬戸内海側に少し行ったところに丸亀城がある。
丸亀城は、丸亀市街地南部の亀山(標高66m)に、ほぼ四角形で亀山の廻りを内堀で囲む、渦郭式平山城である。
室町時代に築かれた砦跡に慶長2年(1597年)、豊臣政権時代の生駒親正が亀山に築城した亀山城がはじまり。
元和元年(1615年)の一国一城令で亀山城は廃城になっが、寛永20年(1643年)山崎家治が幕府の許可を得て再建に
取りかかり、京極高和氏が完成させた。
現在の天守は、万治3年(1660年)に御三階櫓として建造された独立式層塔型三重三階。天守は高さ14.5mと小さ
いが、内堀から四層に積み重なった石垣の上に建てられている。江戸時代以前に建造された現存12天守の一つ。
内濠内の西側の丸亀城Pに車を駐めて、北側中央にある大手門までに歩く。
城内側の櫓門 大手一の門
堀端の高麗門 大手二の門
大手門からちょっと急な「見返り坂」を上り、右折し石段を登り切れば三の丸、二の丸と行くと本丸となり天守が現れる。
丸亀城天守閣
姫櫓跡からの天守閣
天守閣より瀬戸内海を望む
丸亀城見学が終わったら、国道に出て高松市の栗林公園へ向かう。
栗林公園
栗林公園(りつりんこうえん)は、高松市紫雲山の東麓に所在し、紫雲山を背景に、6つの池と13の築山を配し、
400年近い歴史を有する、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園で、県立都市公園として運営されている。
面積は約75haで文化財庭園では、国内最大の広さである。
16世紀後半は地元豪族・佐藤氏の小さな庭が、1631年頃生駒家の家臣・西嶋八兵衛が手掛けた治水工事により、
広大な庭園の基礎が築かれ、1642年から高松を治めた初代高松藩主・松平頼重にも引継がれ、1745年5代藩主・
頼恭により完成。以来、歴代藩主が修築をし、明治維新までの228年間、高松松平家下屋敷として使用された。
明治8年(1875)に県立公園として一般公開され、昭和28(1953)年には名勝地として「特別名勝」に指定された。
丸亀城より30km程で栗林公園に着くが、国道11号沿い東門Pが満車のため、北門Pに駐車し北門から入場する。
北門
北門より入城したら、左手の券売所にて入場料を支払い、商工奨励館から庭園内を回廊する。
商工奨励館
北湖
北湖のスッポン
南湖
偃月橋
芙蓉峰から北湖を望む
飛来峰から南湖を望む
栗林公園を堪能したら、海沿いの玉藻公園(旧高松城)に行くが高松城址に天守閣がないので石垣を車窓から見て、
今宵の宿泊地「庵治温泉海のやどり」へ向かう。
明日は、香川から淡路島へ そして群馬へ帰る。
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ホテル祖谷温泉
かずら橋駐車場から、祖谷川沿いの狭あい道路を8kmほど下ると、道路沿いに秘境「祖谷渓」の断崖絶壁の頂き
を走る道沿いにある一軒宿「ホテル祖谷温泉」に着く。
祖谷渓
「祖谷渓」は、祖谷川による深いV字谷の続く渓谷で、祖谷谷、祖谷渓谷とも言われる。祖谷川は、徳島県三好
市東祖谷付近の徳島県最高峰剣山(標高1,955m)に水源があり、東祖谷からかずら橋のある西祖谷を経て大歩危
峡の北端で吉野川に注ぐ、延長約54kmの吉野川支流だ。源流付近から国道(酷道)439号が沿川を通り、東祖谷新
居屋からは県道(険道)32号が沿川を通る。かずら橋までは酷道、険道の名の通り狭あい道で、かずら橋付近は整
備された二車線道路となるが、西祖谷山村からは再び狭あい道となり、祖谷温泉を経て吉野川合流地点まで続く。
祖谷温泉は、祖谷渓の頂部にあり絶景地であることと、祖谷渓谷底の祖谷川縁に露天風呂があることで名高い。
四国で唯一の「日本秘湯をまもる会」の会員宿で、四国で珍しい源泉かけ流し温泉は祖谷温泉と道後温泉だけだ。
そして、高低差約170mの谷底露天風呂まで、傾斜角42度の断崖を約5分かけ、ゆっくりと大パノラマの景色を一
望しながら下っていくケーブルカーが唯一方法で、SNSやメディア露出も多い人気秘境温泉。予約も取りづらく
希望日に泊まるには早めの予約が必要だ。今回予約した月見台付客室「月雫」も半年前に予約したほどだ。
そんな祖谷温泉に早く入りたくて、早めにホテルにチェックインし、一休みしたら早速温泉へ行くことにする。
先ず、内湯「雲遊天空の湯」で身を清めた後、いよいよケーブルカーにて谷底の源泉掛け流し露天風呂へ行く。
内湯「雲遊天空の湯」
ケーブルカー乗り場は、展望テラスとなっていて、待ち時間には祖谷川下流側の祖谷渓を一望することができる。
ケーブルカー乗り場
展望テラスから祖谷渓を望む
ケーブルカーは、ホテル側は係員がいるが、谷底露天風呂は無人、ケーブルカーは自動運転で乗客が発車ON。
谷側最前列に座ると、スイッチONできる特典付き
そろそろ到着
ケーブルカーには、女性客や外国人家族連れが何組かいて人気の高さが判る。が、露天風呂は独り占めだった。
祖谷川に面した露天風呂は、男湯、女湯、貸切風呂と3つの浴槽があり、男湯と女湯は一日交替となっている。
今宵は、下流側露天風呂「せせらぎの湯」
せせらぎの湯
宿泊部屋の月見台からの眺めも素敵で、夜は静寂の中で、早朝には祖谷渓にかかる朝靄を眺めることができる。
月見台
月見台から朝靄の祖谷渓
早朝目覚めたら、早速温泉へ。朝も先ずは内風呂で身を清め、始発のケーブルカーにて祖谷渓谷底露天風呂へ。
今日の男湯は、真ん中の細長い「渓谷の湯」
渓谷の湯
谷底から、崖上のホテルに戻るとき、ケーブルカーがいなければ、ボタンを押してケーブルカーを呼ぶことに。
露天風呂側乗り場
ケーブルカーが下りてくる
朝食後食休みしたら、再びケーブルカーに乗って谷底露天風呂へ、
祖谷川の畔から露天風呂施設
祖谷川
温泉宿では、通常到着日の夕食前と後、出発日の朝食前と後の計4回温泉に入るが、祖谷温泉では内風呂2回が
増えて、計6回の温泉入浴となった。ケーブルカーも計4往復8回乗車、内6回は最前列にて運転手ができた。
小便小僧
祖谷温泉を十分堪能したら10:00に出発、祖谷渓沿いの県道32号を下り、宿から300m程下流の「小便小僧」へ。
狭あい道路沿いに駐車スペースがあり、カーブ頂点の断崖から突き出す谷底まで約200mの岩の上に、かつて地元
の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとに昭和43年(1968年)に作られた「小便小僧」が立っている。
小便小僧
小便小僧
小便小僧から谷底を
さらに狭あい道路を下ると、祖谷渓展望台がある。展望台からは、祖谷渓を下流側から眺望することができる。
祖谷渓展望台から
さらに下ると、祖谷川の吉野川合流地点付近では民家も増え道幅が広くなり、祖谷口橋を渡れば国道32号となる。
快適な国道32号にて、吉野川沿いを池田町まで進み、吉野川に別れを告げ北上して、県境を越えて香川県となる。
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道後温泉から
宿泊ホテルの温泉に早朝入り体を清め、朝食後にまた入り温まったら、道後温泉本館付近の観光に出かける。
屋上露天風呂「星の湯」
道後温泉本館を望む(茶玻瑠10F湯上り処から)
チェックアウト前に、伊予鉄道後温泉駅付近まで散歩、「坊ちゃんカラクリ時計」や「坊ちゃん列車」を見て、
L字型の道後商店街を戻りながら土産物を買い、道後温泉別館 「飛鳥あすか乃の湯」「椿の湯」を見学する。
坊ちゃんカラクリ時計(am9時のカラクリ)
坊ちゃんカラクリ時計
坊ちゃん列車
伊予鉄道後温泉駅
道後温泉別館 「飛鳥あすか乃の湯」
チェックアウトしたら、高台にある「伊佐爾波神社」に車で行き参拝し、ご朱印受領したら来島海峡へ向かう。
伊佐爾波神社
伊佐爾波神社への石段(車で来ないと石段上り)
来島海峡
道後温泉から瀬戸内海沿い国道196にて、今治市「来島海峡展望館」を目指す。国道分岐し高縄半島の海岸線を
進むと、今治市の誇る来島ドッグや今治造船など日本有数の造船所がある。半島先端付近の来島海峡展望館から
は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路「瀬戸内しまなみ海道」四国側入り口で
ある「来島海峡」と「来島海峡大橋」を展望することができる。いつかは「瀬戸内しまなみ海道」を走りたい!
来島海峡の碑
来島海峡大橋
来島海峡
来島海峡
展望館から、高縄半島東海岸線を今治市中心部にある「今治城」へ向かう。
今治城
今治城の地は、瀬戸内海に面し「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯で、関ヶ原の戦いでの戦功にて徳川家康より伊
予半国20万石を領した藤堂高虎が、この地に築城いた大規模な平城(海城)で、別名「吹揚城」とも呼ばれる。
藤堂高虎像
本丸
慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測される。海水が引かれた広大な堀
や、城内港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城で、寛永12年(1635)より久松松平氏の居城となる。
今治城天守閣
天守閣から瀬戸内海を望む
明治維新後廃城令により造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなったが、昭和28年(1
953)県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守、櫓、門などが再建され雄大な城郭を見せている。
今治城本丸内の天守入り口に鎮座する「吹揚神社」に参拝し、ご朱印を受領したら、次なる目的地へ出発する。
今治より海岸線を進み、国道196から今治小松道路を走り、高縄半島の根元「西条市」より再び四国山地に入る。
吉野川源流へ
瀬戸内海燧灘に注ぐ「加茂川」沿い国道194そらやま街道を遡り、道路沿いの川は途中から「谷川」となるが、
国道194を分岐より10kmほど上る「止呂峡」を見る。止呂峡は加茂川源流となる支流谷川にある。
止呂峡入り口
止呂峡下流
高知県境の四国第一の河川「吉野川」 源流付近を目指す。吉野川源流は、愛媛県西条市と高知県吾川郡いの町
に頂を有する瓶ヶ森(標高1896.2 m)より湧き出で、いの町白猪谷を最源流とする。四国山地南側を東へ流れ、
その後高知県大豊町で向きを北に変え、四国山地を横断し、徳島県三好市池田町で再び東へ流れ、今回の四国
一周旅初日に訪れた「徳島市」で紀伊水道に注いでいる。
流域面積は、四国面積の約2割にあたる約3750 km2あり、四国で唯一水流が四国4県に及ぶ四国最大の水系だ。
止呂峡より国道194を8km程上り、高知県境の寒風山トンネルを抜けると分水嶺を越えて吉野川水系山地となる。
トンネルを出ると吉野川支流の桑瀬川沿道となり、いの町葛原から吉野川本流沿いの県道17を左折し、吉野川に
沿い「早明浦ダム」に向けて走る。そして、ここからが四国名物の酷い狭あい道路となる。早明浦ダムまでは、
国道分岐から約33kmの蛇行する険道:狭あい道路で、土佐郡大川村に入るとダム湖となり両岸に道路が走るが、
大川村役場が接する県道(険道)17号を走り続ける。
早明浦ダム
大川村役場を過ぎてしばらく走ると、上吉野川橋を渡りダム湖の対岸へで、やがて早明浦ダム堤体入り口に着く。
しかし、着いてみるとダム管理事務所入り口で通行止め、なんと本年4月1日から早明浦ダム再生事業のため、
ダム堤体へは進入禁止となっている。せっかく狭あい道を走りここまで来たのにと残念だが、情報収集が不十分
だったと諦めるしかない。ダムカードは道の駅「土佐さめうら」でもらえると、交通整理のおじさんに教えても
らうが、ダム堤体からダム湖が見られないなら意味も無く、遠回りにもなるのでダムカードも諦めることにする。
しかたないので、ダム堤体下に下り、広場より早明浦ダムからわずかに放流されている吉野川を見て次に向かう。
早明浦ダム堤体
早明浦ダムは、一級河川・吉野川本流の上流部に建設されたダムで、(独)水資源機構が管理する多目的ダムだ。
型式:重力式コンクリートダム、高さ:106.0m、総貯水容量:3億1600万m3、有効貯水容量:2億8,900万m3、
利水容量は1億7300万m3、吉野川水系における水資源施設の中核をなす四国地方最大のダム。吉野川治水と四国
地方全域の利水を目的に建設され、四国の経済・市民生活に多大な影響を及ぼし「四国のいのち」とも呼ばれる。
大歩危峡
早明浦ダムから再び国道439号にて吉野川沿いを下流に走り、国道32号に分岐し計40km程で、大歩危峡に至る。
大歩危峡(おおぼけ)は、吉野川中流域に位置する渓谷で、国の天然記念物・名勝に指定され、剣山国定公園に含
まれている。夏季は、ラフティング・カヤック愛好者を集めるほか、百年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船で知
られ、数km下流の小歩危(こぼけ)と共に、大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)と一括りに呼ばれ名が知れる。
大歩危峡遊覧船乗り場に到着したが、時間が無いので遊覧船は諦め、大歩危峡を展望所から眺めて渓谷美を堪能。
遊覧船乗り場
大歩危峡
大歩危峡下流
碑
祖谷のかずら橋
国道32号を少し戻り、大歩危橋を対岸に渡り12kmほど走ると三好市西祖谷山村にある「祖谷のかずら橋」に着く。
平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷渓”にある日本三奇橋のひとつ「祖谷のかずら橋」は、重さ約6トンのシラクチ
カズラで作られた吊り橋で、昔は渓谷地帯唯一の交通道で、3年毎に架け替えられている。
現在は、大型バスやマイカーで、国内外から訪れる人気観光スポットになっていて、近傍にはかずら夢舞台という
大型物産館を併設した市営駐車場が整備されている。が、より近く周辺最安値の滝美Pに駐車し、かずら橋へ歩く。
かずら橋と平行して祖谷川に架かる祖谷渓大橋より、かずら橋全景を眺める。(長さ45m・幅2m・水面上14m)
かずら橋全景(祖谷渓大橋から)
かずら橋を渡るには、渡り口にて料金(JAF割JPY550→JPY500)を支払い、順序よく一方通行にて渡り始める。
厳寒な冬の山野で採取したシラクチカズラを編み連ねて作られた橋は、橋床は7〜8?φ木材が等間隔に取付けら
れていて、隙間から14m下谷底が見え、長さ45mの吊り橋の揺れと相まり、渡る人に適度なスリルを味わえる。
かずら橋は、団体ツアー客もいるため賑やかで落ち着かないが、渡るならサンダルやヒールはやめた方が良い。
日本三奇橋にも数えられるかずら橋の由来には諸説あり、平家の落人が追手から逃れるために切り落とせるよう
に作ったとする説や四国を巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説などが伝えられている。
かずら橋を渡り切ったら、少し上流側に歩くと、高さ約40mの「琵琶の滝」がある。その昔、平家落人が京の都
をしのび、この滝で琵琶をかなで、つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられている。
琵琶の滝
急峻な四国山地にある祖谷地域は、屋島の合戦に敗れ逃れた平国盛と安徳帝の一行が、平家再興を願い土着した
と伝わる集落で、近代まで外部との交通隔絶され、古来の生活様式や独特風俗が原形に近い状態で残されている。
上流側から
祖谷のかずら橋にて祖谷渓秘境を感じた後に、夢舞台にて土産物を物色したら、今宵の宿泊地祖谷温泉へ向かう。
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松山城
下灘駅から海岸線を東に向かうと松山市に入り、30km程にて松山城に到着する。松山城は、松山市の中心部にあ
る標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、観光客はロープウェー・リフトを利用して行くのが一般的だが、
やはり本丸登城には、文字通り二の丸から石段を登って行くのが本道だろう。二の丸から黒門口登城道を登るため
二の丸史跡庭園Pに駐車し、黒門口より本丸へ直行するつづら折れの登城道石段を登る。
登城道登り口
二の丸史跡庭園
木立の中にきつい登城石段が続き、黙々と15分程登れば、周囲が明るくなり見上げれば高い石垣に太鼓櫓が見えてくる。
登城道石段
太鼓櫓
大手門跡を通り戸無門を潜り、さらに筒井門、隣に字の通り隠れ門があり、展望広場より松山市内が一望できる。
戸無門
筒井門
太鼓門
太鼓門を潜ると本丸広場。本丸広場には、前方に本丸天守が望め、中央によしあき君が迎えてくれる。
よしあき君(松山城を創設した加藤嘉明から)
松山城は、羽柴秀吉家臣で賤ヶ岳の合戦にて活躍し、七本槍の一人として名をあげた加藤嘉明により創設された。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで徳川家康側に従軍し、戦功を認められ20万石となり、慶長7年、道後平野中心
の勝山に城郭工事着手し、翌8年10月に居を新城下に移し、築城工事を継続し四半世紀の後に松山城が完成した。
しかし、嘉明は25年後、寛永4年(1627)に会津へ転封され、その後蒲生氏郷の孫・忠知が出羽国(山形県)
上山城から入国し、二之丸築造を完成したが、寛永11年参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、断絶する。
その後、寛永12年(1635)桑名城主「松平定行」が松山藩主となって以来、235年14代世襲し明治維新に至った。
現在の天守は、松平定行が、寛永19年(1642)に改築した三重連立式天守が、天明4年の落雷のため焼失したた
め文政3年(1820)から嘉永5年(1852)まで、33年の歳月をかけ再建、安政元年(1854)に落成したものだ。
本丸天守
本丸天守閣入り口にある切符売場にて、入場料を支払い本丸に入城。一の門、二の門、三の門と進み、筋鉄門を
潜れば、右手正面に内門が見え、手前右が天守入り口だ。
一の門
二の門
三の門
筋鉄門
正面:内門の右が天守入り口
迷路のような天守内では、順路に従い十間廊下を抜けて小天守に、小天守からは本丸広場や一の門が見渡せる。
松平家家紋「葵のご紋」
本丸天守からは、松山市内が見渡せ、西方には瀬戸内海も望める。
本丸広場から松山市内を望む
西方に瀬戸内海を望む
天守から下りたら、本丸広場の屏風折れ石垣上から天守や遠方を展望し名物「蛇口みかんジュース」で喉を潤す。
本丸天守
蛇口みかんジュース
広場から太鼓門から隠れ門を通り、黒門口登城道を下り二の丸庭園Pに戻り今宵の宿泊地「道後温泉」へ向かう。
隠れ門
道後温泉♨
道後温泉は、日本三古湯の一つといわれ、日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる温泉で、
古代から知られていて日本書紀にも登場、夏目漱石の小説「坊つちやん」にも描かれた愛媛県の代表的な観光地。
道後温泉街は、共同浴場「道後温泉本館」を中心としてホテル旅館が建ち並び、今宵の宿は本館真ん前の「茶玻瑠」。
チェックインをして、一休みしたら本館へ行き入浴予約し、本館裏の道後商店街をそぞろ歩き土産物等をみる。
道後温泉本館(保存修理工事中)
宿泊ホテルに戻り、ホテル内の温泉にて体や髪を洗ったら、予約時間前に本館共同浴場へ行き入浴することに。
本館は、平成31年から始まった保存修理工事中で、現在は小振りの「霊の湯」のみで営業していて、休憩室や
「神の湯」は利用できなくて残念。それでも四十数年ぶり本館入浴は、大理石や庵治石を使う浴室で趣がある。
夜の本館前
夜の道後商店街
明日は、道後温泉周りを観光したら、道後から祖谷渓
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宿毛リゾート椰子の湯
「宿毛リゾート椰子の湯」は、四国西海岸の宿毛湾の大島西端にある温泉リゾートホテル。大島は本土と20m程
の大島橋でつながり、ホテル全体が西側を向いているので、宿毛湾から太平洋、島々を見渡すことができる。
中央「咸陽島」から太平洋を望む
左端「大藤島」から宿毛湾
棚田状の露天風呂も西面を向いているので太平洋を見下ろしくつろげ、到着後の夕暮れ時には、太平洋から対岸
に沈む夕日を眺めながら、朝方は干潮時には大島と干潟でつながるという咸陽島や、防波堤、大藤島等の島々を
眺めながらの温泉を楽しむことができる。宿の難点は、食事が美味しいが量が多すぎることかもしれない。
露天風呂から
棚田式露天風呂
露天風呂から宿毛湾を望む
椰子の湯で温まったら、愛媛県宇和島市へ向けて出発。宿毛よりは、しばらく山の中を走り、高知県から愛媛県
への県境を越えると、やがて快適な海岸線ドライブとなる。
四国西海岸は、岬と入り江がいりくむリアス式海岸、美しい景観と共に豊かな漁場、海面養殖場となっている。
宇和島湾の海面養殖
宇和島城
宇和島へは、65km程の道のりを一部四国縦断道路/宇和島道路を走り、1時間余にて到着、先ずは宇和島城Pに
駐車し、宇和島城の見学をする。
宇和島城は、現存する12天守の一つで、宇和島市街地の中心部に位置する標高約73mの丘陵地に、藤堂高虎が慶
長6年(1601)築城し、高虎が今治に転封となった後、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を
賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時代に 天守以下、城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成、
明治を迎えるまで「西国の伊達」9代の居城だ。
城山の登山口にある市文化財指定の桑折氏武家長屋門を潜り、登山道の急な石段を上りきると天守閣が現れる。
桑折氏武家長屋門
天守への石段
天守閣が見える
城山は国史跡であり、天守は独立式層塔型三重三階。白壁が美しく破風などの御殿建築が随所に施された優美。
天守閣に上り、市街地と宇和海を眺望する。
宇和島城天守閣
宇和島城は、、旧来東側に水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」で、海側の市街地は埋立地。
宇和島湾を望む
天守閣見物を終えたら石段を下り、駐車場横の物産館にて土産物などを物色したら、和霊神社参拝に向かう。
和霊神社
和霊神社は、漁業を中心に広く産業の神として、中四国で崇められている和霊信仰の総本山で、伊達秀宗の元で、
産業拡充、民政安定に手腕を発揮し藩政草創に尽力しながら、凶刃に倒れた功臣、山家清兵衛を祭神としている。
参拝を終えたら、次なる目的地大洲市へ四国縦断道路/愛南道路を北上し、市営観光Pへ駐車し大洲城見学へ。
大洲城
大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まり、戦国時代を経て、近世に大洲を
治めた小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備された。
大洲城
明治21年(1888)、天守が取り壊されたが、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定された。
現在の4層4階の天守は、明治期古写真や江戸期木組模型等の史料をもとに平成16年(2004)に木造復元された。
大洲城天守閣
肱川の南の肱南エリアは、おおず赤煉瓦間、臥龍山荘などの明治期からの繁栄がうかがえる町並みが見られる。
臥龍山荘
臥龍山荘は肱川流域の景勝地「臥龍淵」に臨む三千坪の山荘で、大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山(ほうらい
さん)が龍の臥す姿に似ている」ことから「臥龍」と命名したといわれている。
臥龍院内部
山荘内の臥龍院・不老庵・知止庵の三建築は数寄をこらした逸品揃いで、山々と肱川・如法寺河原の自然をとり
いれた借景庭園は、自然と人工の典雅な調和をみせ、庭園内や臥龍山荘から臨む趣深い景色となっている。
不老庵
不老庵から肱川を望む
臥龍山荘近くの大洲神社(神社はそれなりだが無人)
大洲市肱南エリア散策を楽しんだら、駐車場に戻り次なる目的地「下灘駅」に出発する。
下灘駅
愛媛県の伊予灘を一望できる下灘駅は、四国の主要都市(高松−松山−宇和島)を結ぶJR四国・予讃線の無人駅。
開業は1935年、1981年に駅の海側海岸線を埋め立た国道開通するまで、「日本で一番海に近い駅」と呼ばれた。
今も、駅のホームは展望台のように、国道より高い位置に設けられているため、海が間近に見え、ホームに立て
ば目の前に美しい海と空が広がり、そんな光景ゆえに、数多くの映画やTVドラマの舞台に選ばれた。
JR『青春18きっぷ』ポスターに1998年から2000年まで3年連続で取り上げられ、今でも撮り鉄達の人気スポット。
下灘駅ホーム
この三本足の上屋が下灘駅のトレードマーク
青いベンチに座り、海を眺める後ろ姿が映えるらしい?
駅舎
旅情を誘うホーム
下灘駅で旅情を感じたら、松山市へ
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沈下橋
「沈下橋」は、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことで、河川行政用語としては「潜
水橋」が公式名称。 地方によって、潜没橋、潜流橋、沈み橋、潜り橋、冠水橋、地獄橋などとも呼称される。
1999年の高知県による調査によれば全国の一級河川及び支流には合計410か所の沈下橋があり、都道府県別に見
ると、高知県(69か所)、大分県(68か所)、徳島県(56か所)、宮崎県(42か所)の順で多い。
四万十川には、本流に22本、支流も含めると計47本の沈下橋があり、高知県は生活文化遺産として保存している。
四万十川本流を源流近くの一斗俵から、四万十市河口域(旧中村市)まで、車で走り観察できた9本の沈下橋を
紹介する。
一斗俵沈下橋(いっとひょう)
現存する沈下橋では最も古い橋で、国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。壱斗俵と米奥集落を結
ぶ橋で、この橋が架かるまでは渡し船が運航されていた。以前は、通学や買い物などの日々の往来に利用され
ていたが、現在は車両は通行止めとなっている。
場所:四万十町壱斗俵 町道米奥壱斗俵線
建設年月日:昭和10年 橋長:60.6m 幅員:2.5m 橋脚:8基 構造:RC直方体
全景
走行面
上流を望む
上宮沈下橋(じょうぐう)
大正北ノ川集落と上宮集落を結ぶ沈下橋。
国道381号から望む場所にあり、四万十川と共に営みを続けてた流域住民の文化を知る重要な景観となっている。
場所:四万十町上宮 町道北ノ川上宮線
建設年月日:昭和32年 橋長:85.1m 幅員:2.9m 橋脚:13基 構造:RC直方体
走行面(国道側から)
走行面
上流を望む
下流を望む
第一三島沈下橋(だいいちみしま)
四万十川最大の中州である三島を結ぶ沈下橋で、国道381号側が第一三島橋、対岸の轟集落側が第二三島橋。
中州は水田として利用されていて、沈下橋完成後は農作業も大きく向上した。中州にはキャンプ場があり、
上空にはJR予土線鉄橋が架かる。
場所:四万十町昭和 町道昭和戸口線
建設年月日:昭和41年 橋長:77.0m 幅員:3.3m 橋脚:5基 構造:RC直方体
走行面(国道側から)
走行面
上流を望む
かりゅう
下流を望む
中半家沈下橋(なかはんげ)
沈下橋、抜水橋、JR鉄橋の3橋が平行にかかる場所で、車輛は通行止となっている。
場所:四万十市西土佐中半家 市道本村中半家線
建設年月日:昭和35年 全長:125.9m 幅員:4.3m 橋脚:9基 構造:RC直方体
走行面(国道側から)
上流を望む
下流を望む
岩間沈下橋(いわま)
ポスターやパンフレットでおなじみの沈下橋。 鏡のような清流に青い空と緑の山々が映し出され、風景が最高
に良い場所で、右岸下流側は河原となっていて、キャンプに最適そう。
場所:四万十市西土佐岩間 市道岩間茅生線
建設年月日:昭和41年 全長:120.0m 幅員:3.5m 橋脚:9基 構造:鋼管
走行面(国道側から)
側面
上流を望む
下流を望む
口屋内沈下橋(くちやない)
曲線を多様したデザインがユニークな沈下橋で、すぐ下流には支流の中で最も透明度が高いといわれている秘
境「黒尊川」が合流している。
場所:四万十市西土佐口屋内 市道口屋内宇和島線屋内大橋支線
建設年月日:昭和30年 全長:241.3m 幅員:3.6m 橋脚:9本 構造:RC直方体
走行面(国道側から)
走行面
側面
上流を望む
下流を望む
勝間沈下橋
橋脚が鋼管でできている沈下橋は 四万十川本川に5箇所あるが 勝間沈下橋だけ鋼管3本/基で造られている。
川幅が広く、水はゆっくりと流れていて、右岸は河原となっているが、左岸の淵は水深18mあった。
(当日訓練中の四万十市消防団による情報)平成15年の釣りバカ日誌14の撮影場所として有名。
場所:四万十市平本 市道鵜ノ江久保川線
建設年月日:昭和34年 全長:171.4m 幅員:4.4m 橋脚:14基 構造:鋼管3本/
走行面
側面
上流を望む
下流を望む
高瀬沈下橋
四万十川で3番目に長い沈下橋で、川幅も広く、清流がゆっくりと流れる。初夏のホタル見物、夏場のキャンプ
などたくさんの観光客で賑わうそう。
場所:四万十市下入道 市道高瀬線
建設年月日:昭和48年 全長:232.3m 幅員:3.4m 橋脚:14基 構造:鋼管
走行面
側面
上流を望む
下流を望む
佐田沈下橋
四万十川最下流で、最長の沈下橋で、川幅も約300mあり、四万十市内から近く、道路沿いに大きな駐車場もあ
り多くの観光客が訪れている。屋形船も発着することから、シーズンには団体ツアー客で賑わい、旅行番組や
ドラマに使われが、情緒を観じられるかは??。
場所:四万十市今成向イ 市道佐田今成線
建設年月日:昭和47年 全長:291.6m 幅員:4.2m 橋脚:19基 構造:鋼管
走行面
側面
上流を望む
下流を望む
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太平洋へ
松葉川温泉♨
松葉川温泉は、四万十川源流点近くにの温泉一軒宿。源流点から30kmほど下流で合流する源流の一つ「日野地
川」を4km程遡った場所に建つ松葉川温泉は、周囲に何も無く四万十川源流を感じ、味合うには絶好の場所だ 。
温泉は日帰り温泉施設も兼ね、日中は日帰り客も来るようだが、夜〜朝は静寂の中にあり、ゆっくり温まれる。
四万十の天然鮎を楽しみ、朝食後も露天温泉にて温まったら、四万十川を太平洋河口にむけて出発する。
天然鮎
松葉川温泉露天風呂
日野地川
四万十川
四万十川(しまんとがわ)は、高知県西部を流れる一級河川で渡川水系の本流、全長196km、流域面積2,186km2。
流域面積は四国第2、全長では四国最長の一級河川である。本流に大規模なダムが建設されていないことから
「日本最後の清流」、また、日本の秘境100選にも選ばれている。
高知県高岡郡津野町の不入山(いらずやま、標高1,336m)を源流とし、南に流れ、高岡郡四万十町窪川におい
て流れを西に向け、四万十町大正において梼原川を合流し、四万十市西土佐において再び流れを南に転じ、広見
川、目黒川、黒尊川の支川を合わせ、四万十市佐田より中村平野に入り後川及び中筋川を合わせ太平洋に注いで
いる。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっている。
四万十川には、本流に22本、支流も含めると計47本の沈下橋があり、高知県は生活文化遺産として保存している。
四万十川本流に架かる観察可能な沈下橋を探しながら、沿川を四万十市河口域(旧中村市)を目指し車を走らせる。
松葉川温泉からまず最初の沈下橋:一斗俵沈下橋
一斗俵沈下橋下流の堰、落差工
落差工を遡上する魚を捕ろうと待ち構える漁師
沈下橋観察記録は、こちら → 四万十川沈下橋
道の駅四万十とうわで一休み、道の駅付近では川幅も広がり、対岸からのジップラインや川下りも楽しめる。
上流
下流 川下り乗り場
最下流の沈下橋:佐田沈下橋
佐田沈下橋を過ぎると、四万十市中心部(旧中村市)となり、予定では市街地にある郷土博物館などを見学しよ
うと思っていたが、沈下橋観察に時間を要したので、四万十川河口に近い最下流の四万十大橋たもとまで進む。
四万十大橋は、全長:687m、片側1車線、幅員:7.75mあり、四万十川の川幅も相当広くなっている。
四万十大橋
上流四万十川を望む。
下流
橋たもとの産直「彩市場」でや昼食を調達しここで、四万十川に別れを告げ、次なる目的地「足摺岬」へ向かう。
足摺岬へは国道321号を南下し、土佐清水市よりは半島の東・西海岸線、中央(スカイライン)の3路線がある
が、最短ルートの西海岸線を進み、四万十市より約40km、1時間にて到着する。
足摺岬は、四国最南端の岬で、岬の西の臼碆は、黒潮本流が直接ぶつかる全国でも唯一の場所で、室戸岬と異な
り、岬に突き出した先端は約80mの断崖となっている。道路に面する駐車場に車を駐めたら、岬先端まで自生す
る椿のトンネルを行くと展望台があり、270度の視界が広がり、足摺岬灯台から太平洋を見渡すことができる。
足摺岬灯台を望む
天狗の鼻を望む
展望台よりのパノラマを楽しんだら、遊歩道を足摺岬灯台に進む。白亜の灯台は、高さ18m。光度200万カンデラ、
光達距離38km。日本最大級の灯台の一つ、大正3年(1914)の点灯以来、沖をいきかう船の安全を見守り続ける。
足摺岬灯台
太平洋を望む
灯台よりさらに遊歩道を西に向かい「 白山洞門」に向かう。距離600mとあるので甘く見ていたが、洞門は海岸
面にあるので高低差が激しく一苦労、最後の遊歩道階段を下ると白山神社があり、さらに下ると洞門が現れる。
白山洞門は、太平洋の大波が、岬先端の大きな岩山に高さ16m、幅17m、奥行き15mの大きな穴を空けた海蝕洞。
迫力ある白山洞門
浜より白山神社鳥居を見上げる
急階段を上り、遊歩道を駐車場に戻ったら、広場にあるジョン万次郎像を拝顔したら、次なる目的地に向かう。
ジョン万次郎像
岬から再び足摺半島西海岸線を走り、土佐清水市よりさらに海岸線を走ると、美しい海岸に竜串海域公園がある。
竜串海岸もゆっくり観賞したかったが、早めに温泉に入りたく今宵の宿「宿毛リゾート椰子の湯」に急ぐことに。
ぐるっと竜串ウェストパークより
竜串海岸はあの岬の向こう側にある
明日は、高知から愛媛へ
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仁淀川(によどがわ)は、愛媛県〜高知県を流れる一級河川、愛媛県内では面河川(おもごがわ)と呼ばれ、流域面
積1,560km2、石鎚山源流から太平洋に注ぐ河口まで流路延長124km、吉野川・四万十川に次ぐ四国第3の河川だ。
源流部は、四国最高峰の石鎚山に源を発する面河川と、分水嶺である三坂峠から流れる久万川が、御三戸(愛媛
県上浮穴郡久万高原町)で合流して形成され、面河第三ダム下流の県境から「仁淀川」と河川名が変わる。
中流域には四国で第2の規模である多目的ダム「大渡ダム」をはじめとして治水や水力発電のための施設も多く、
四国山地に深いV字谷を刻みながら南下し、やがて高知県高知市/土佐市付近で土佐湾〜太平洋へと注ぎ込む。
水質は国土交通省発表の「水質が最も良好な河川」に過去8回選ばれれていて、水面が青く美しい透明度、エメ
ラルドグリーンともターコイズブルーとも呼べる「青」の美しさ「仁淀ブルー」と呼ばれる淵や滝壺などがある。
そんな仁淀川を実際に見て、体験したいため仁淀川に向かう。高知城より西方に12?ほど走ると、土佐湾河口よ
り12?程上流の仁淀川堤防にぶつかる。この付近は水害防止用に整備された堤防のため車窓より川水面を見るこ
とができないが、仁淀川沿いの国道19号を右折して上流部に向け走ると川水面の見える快適な道路となる。
仁淀川沿いにある道の駅「土佐和紙工芸村」に駐車して、初めての仁淀川を眺望、美しさと大きさを感じられる。
仁淀川下流を望む
ここは、カヌーやラフティング、サップ等による仁淀川リバークルーズがあり、川遊びを楽しむことができる。
仁淀川上流を望む
名越屋沈下橋
道の駅より、国道を川左蛇行に沿い上流に3分ほど走ると、仁淀川最下流の沈下橋「名越屋沈下橋」が現れる。
国道から沈下橋に向けて左に下り、橋手前の広い待機スペースに車を駐め、沈下橋を間近に見に行く。
名越屋沈下橋
下部支持構造は鋼管杭
「沈下橋」は、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことで、仁淀川はじめ高知県西部の
河川に古くから架設され、現在も多くが周辺住民の生活道として活用されていて、観光スポットとなっている。
走行面
名越屋沈下橋は、全長191mの生活道橋で、高知市から最も近い沈下橋のため、多くの観光客も訪れるようだ。
河口に近いため、川水面幅もほぼ橋全長に近く、四国第3の大きな河川であることが判る。
上流側
下流側
国道19号をさらに遡り支流「上八川川」合流点を過ぎたら、国道から県道18号左折して仁淀川上流に向け走る。
片岡沈下橋
ここを左折せずに上八川川を遡れば、仁淀ブルーで名高い「にこ淵」に行けるが、今回はもう一つの仁淀ブルー
スポット「水晶淵」に行くことを選んだため左折、左折後5kmほど走ると左眼下に「片岡沈下橋」が見えてくる。
片岡沈下橋
走行面
片岡沈下橋に下りるには、県道反対側から回りこまねばならず判りづらいが、何とかたどり着くことができた。
片岡沈下橋は、越知町片岡地区と南片岡地区を結ぶ全長約100mの生活道沈下橋で看板や仮設トイレもあるので
観光客も多いのだろう。
記念顔出し看板
上流側
下流側
片岡沈下橋を見たら、県道に戻りさらに仁淀川沿いに「水晶淵」を目指して出発。ここからは、道路事情が悪く
なり、道路幅が急に狭い道路が連続するが、これも四国名物なのでしかたない。そして、この辺りからナビのル
ート検索機能が役に立たなり、エージェントに目的地を言っても、最短距離ルートを示さず広い道幅優先でルー
ト検索をしてしまい、とんでもなく遠回りをさせられる。まあ、そこは天性の土地勘をはたらかせるしかない。
険道(県道)より酷道(国道)494号を右折し、仁淀川町で日本三大酷道と言われる酷道439号(ヨサク)を北上する。
仁淀川本流とはここで別れ、支流の土居川沿いを進む。仁淀川は、蛇行を繰り返しながら西に石鎚山源流まで。
439をしばらく走ると安居川となり、安居川に沿い439から険道に左折して、さらに山奥へと入っていけば道路
は益々険道となる。対向車が来たらと心配だが、観光シーズンを外れた平日なので、対向車が無いのが助かる。
水晶淵
狭あい道路を進むと安居渓谷がはじまり、宿泊施設宝来荘を過ぎ、さらに奥に進むと「水晶淵」があるようだ。
水晶淵駐車場に車を駐め、渓谷に続く遊歩道を下りていくと、沢水が青く貯まる「水晶淵」仁淀ブルーがある。
水晶淵手前の流れも青い
水晶淵の青
さらに上流に沢登りをしていくと、多段状の砂防ダムが現れ、滝下の水も青く光る。
砂防ダム
水晶淵の上流にある砂防ダム滝下の溜まり水もかなり青い、水晶淵より水深があり青が濃い仁淀ブルーだ。
安居川に流れ落ちる「背龍の滝」
安居渓谷を散策して、水晶淵の「仁淀ブルー」に感激したら、日も落ちてきたので次なる目的に向け出発する。
水晶淵より下流の流れ
当初予定は、中津渓谷に行こうと思っていたが、時間的に難しそうなので取りやめて、四万十川源流を目指す。
酷道439号に戻り、仁淀川町からさらに仁淀川沿いに上流を目指し走り、仁淀川最大のダム「大渡ダム」下にて、
仁淀川と別れ、支流の長者川沿いをさらに439を走る。
矢筈峠トンネル手前を左折し、四万十川源流点付近を通る険道(県道)378号を下る。この道はさらなる険道で
ガードレールも無い狭あい道、日没近くで小雨模様でもあり、視界が悪く走りづらいが険道を楽しむしかない。
悪条件のため、不入山付近の四万十川源流点に行くことは諦め、源流点進入口近くの堂海森林公園にて一休み。
堂海森林公園に建つ四万十川源流点への案内
堂海森林公園は、せいらんの里と呼ばれていて、津野町出身の高僧、義堂・絶海の像もある自然豊かな所のよう。
狭あい道の山間をぬけたら、今宵の宿泊地「松葉川温泉」を目指す。明日は、四万十川沿いを下流に向け走る。
明日は、四万十川から太平洋へ
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よさこい温泉にて、朝食をとり、朝風呂に入ったら、高知市内観光に向けて出発する。空模様は曇天だが・・・
ホテル窓から太平洋を望む
高知市は、幕末の志士「坂本龍馬」を始めとして、明治維新で活躍した多くの人物を輩出した歴史ある都市だ。
政治経済都市であると共に、市内には多くの名所名跡がある観光都市となっている。
観光の始めに坂本龍馬像のある「桂浜」を目指し海岸線の道を進み、桂浜公園駐車場に駐める。
桂浜
桂浜は、高知県高知市浦戸に位置し太平洋に臨む海岸。土佐民謡「よさこい節」にも詠われ、そして太平洋を望
んで立つ坂本龍馬の銅像がある浜辺は、高知を代表する名所の一つとして知られる。四国八十八景26番。
桂浜
桂浜に着いたら、先ずはシンボルの龍馬像に会いに行く。龍馬は、桂浜を望む丘陵に和服姿に懐手,ブーツ姿で,
はるか太平洋の彼方を見つめ立っている。高さは台座を含めると13.5mあり、現在、龍馬と同じ目線で太平洋を
眺めるための仮設展望台を設置されていて、料金を払い上がれば龍馬の顔も直近で見ることができる。
龍馬像後ろ姿
正面
坂本龍馬像アップ
龍馬への挨拶が済んだら、階段を下り桂浜へ。桂浜は、龍頭岬(上龍頭岬)と龍王岬(下龍頭岬)の間に延びる
本浜という砂浜を言い、龍頭岬(上龍頭岬)東側には東浜、龍王岬(下龍頭岬)西側には西浜がある。本浜遊歩
道外側には、桂浜水族館や展望台・飲食スペースを備えた休憩所がある。
桂浜全景
龍頭岬から本浜遊歩道を行き、坂本龍馬や多くの志士が眺めたであろう荒波と、遥かに広がる太平洋を眺望する。
桂浜波高し
西端の龍王岬にたつ海津見神社に参拝したら、本浜休憩所「五色テラス」にて名物アイスクリンを舐めて一休み。
海津見神社
駐車場付近にある土産物屋にて地酒や龍馬土産を買ったら、高知市中心部に向けて出発。
高知城
高知城は、山内一豊が慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは徳川方に味方し、その功績により徳川家康より土佐
一国を与えてられ創建されて以来、約400年余りの歴史を有する南海の名城だ。
外観四重内部三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっていて、日本国内に残る木造の12古
天守の一つで,火災や震災,明治維新による全国的な廃城,太平洋戦争など幾度となく襲ってきた危機を乗り越
え,現在でもその姿を残している。
高知公園Pに駐車して、高知城天守閣を目指すと、先ずは入り口前に土佐藩初代藩主山内一豊公之像が出迎える。
山内一豊公之像
追手門から天守閣
石垣の上に渡櫓を載せた堂々たる楼門「追手門」をくぐれば高知城内となり、「板垣退助像」が出迎えてくれる。
追手門
板垣退助像
板垣退助像左手の石段を登り詰めるた杉ノ段には、内助の功で有名な山内一豊妻「千代の像」がひっそりと立つ。
千代の像
石段をさらに登り、鉄門跡を右に上っていくと、本丸天守閣が現れる。
天守閣
さらに石段を進めば本丸御殿天守閣入り口となり、入場料420円也を支払入場する。
天守閣全景
天守閣から、城内〜高知市内を見渡すことができる。
高知城歴史博物館からはりまや橋方面を望む
城内
高知城見物が終わったら、追手門を出て近隣の高知名所観光へ、ひろめ市場を通り過ぎ、帯屋町筋商店街を通り
抜け、日本三大ガッカリ名所の一つ「はりやま橋」に行ってみる。
鰹のたたきで有名な「明神丸」帯屋町店
はりまや橋
よさこい節で歌われ有名になった「はりまや橋」だが、繁華街の小川に架かる橋なので、まあこんなものだろう。
はりまや橋
はりまや橋
はりまや橋公園
ひろめ市場
はりまや橋のたもとの菓子店舗にて高知銘菓を土産として買ったら、ひろめ市場へ戻る。
ひろめ市場
ひろめ市場は、幕末の土佐藩家老深尾弘人蕃顕(ひろめしげあき)屋敷跡に造られた屋台村商店街で、飲食店や居
酒屋、土産物屋など何でも揃い、高知市民や観光客で賑わっている。
高知で外せないのが「鰹のたたき」で、有名店は「明神丸」だが、ここは自称一番鰹のたたきが美味いという
「やいろ亭」にて食することに。やいろ亭のある自由広場では、多くの人々が真っ昼間から美味い肴とビールや
酒を楽しんでいる。こちらは、まだ運転の予定があり、残念ながらBeerが飲めない。
やいろ亭前自由広場
塩たたきと刺身の二人盛+塩キュウリ
やいろ亭の塩たたきを堪能したら、高知城駐車場に戻りいよいよ次の旅の目的「仁淀川」に向け出発。
高知城天守閣
清流「仁淀川」へ
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徳島から高知へ
眉山
ホテルは温泉宿ではないので、朝食を済ませたら早々とチェックアウトし、近くの阿波おどり会館へ徒歩で向かう。
阿波おどり会館
裏手にある天神社にお参りしたら、阿波おどり会館5階の乗り場よりロープウェーにて眉山に登頂する。
徳島天神社
眉山は、標高290mの東西になだらかな丘陵地で、眉の形に似ていることから眉山と名付けられたそうだ。頂上に
は展望台があり、徳島市街地をはじめ、遠く阿讃山脈・瀬戸内海・紀州の山々を望める絶景地だ。
古くは万葉集にも歌われ、身近に自然と接することのできる公園として、徳島市の緑のシンボルとなっている。
徳島市は、四国を代表する大河「吉野川」河口にできた三角州であることが良く解り、本流の吉野川をはじめ、
新町川や旧吉野川が紀伊水道に流れ込む水の豊かな都市である。
吉野川河口
新町川河口
剣山を望む
吉野川は、高知県と愛媛県県境にある石鎚山脈に属する標高1,897mの瓶ヶ森を水源とする流路延長194km、流域
面積3,750km2、川幅最長部は2,380 mの四国で一番大きな河川で、日本三大暴れ川の1つとして数えられいる。
徳島市内から紀伊半島
展望台広場に建つ奇妙な塔は、第二次世界大戦の激戦地ビルマ(ミャンマー)戦線からの帰還兵で作られ
た徳島県ビルマ会によって、平和を願いビルマ仏塔を模して建設された平和記念塔パゴダ。
平和記念塔パゴダ
眺望を楽しんだらロープウェーで下山し、阿波おどり会館内部を見学したら、次なる景勝地へ向かい出発する。
蒲生田岬
徳島から太平洋岸沿い国道55号を室戸岬を目指し南下し、道中にある景勝地を時間の許す限り寄り道することに。
徳島市内で給油して、先ずは、先っぽ好きとして徳島県阿南市にある四国最東端「蒲生田岬灯台」に寄り道する。
蒲生田岬は、瀬戸内海紀伊水道に突き出た形の四国最東端の岬で、室戸阿南海岸国定公園に属する。
蒲生田岬灯台への遊歩道
蒲生田岬灯台
蒲生田岬灯台と和歌山県の紀伊日ノ御埼灯台を結んだラインは紀伊水道と太平洋を分かつ線で大阪湾および瀬戸内海の入
り口をなしている。
伊島〜棚子島・前島
不動明王
蒲生田岬モニュメント
日和佐海岸
国道55号に戻り、さらに南下すると、ウミガメで有名な日和佐大浜海岸、ウミガメ博物館があるので寄り道する。
大浜海岸
到着してみると残念ながら博物館は改装臨時休業中、しかたなく大浜海岸散歩と日和佐八幡神社に参拝して出発。
日和佐八幡神社
まつりの準備中
右手の国道沿いのには美しい海岸線が続くが、ゆっくり観光する時間も無いので、車中より眺め道の駅東洋町で
昼食をとったのみで室戸岬へ。
室戸岬
室戸岬は、高知県室戸市に属し、太平洋に突き出る室戸半島の先端の岬。国の名勝、室戸阿南海岸国定公園に指
定、日本新八景、四国八十八景22番に選定されていて、先っぽ好きとしては外せない岬だ。
国道55号に面した駐車場に車を駐めて、岬の先端の灌頂ヶ浜に向かい遊歩道を散策する。
灌頂ヶ浜
遊歩道は亜熱帯性植物・海浜植物群落や岩礁を縫うように設置され、太平洋に大きく着き出した岬にて、紀伊水
道と土佐湾に分けている。岬先端は断崖では無く岩礁地帯の浜で、室戸岬灯台は、先端より離れた標高151mの山
上にあり、行くには登山をするか室戸スカイラインを回るしかないので、今回は岬先端より見上げることに。
室戸岬先端の海
室戸岬灯台は高台の上
駐車場付近には、海援隊長の坂本龍馬とともに活躍した明治維新の勤王志士陸援隊隊長「中岡慎太郎」の像が、
太平洋を見据えるように建っている。
中岡慎太郎像
室戸岬を一周りしたら、国道55号を進み奈半利町から内陸に入り、庭園公園の北川村「モネの庭」に立ち寄る。
北川村「モネの庭」
「モネの庭」は、フランス印象派を代表する画家であるクロード・モネが、1883年以降暮らしたパリ郊外の印象
派芸術家の村ジヴェルニーにある「モネの庭」を、北川村の自然を生かして再現したものだ。
モネ財団に許可を取ったそうだが、どうしてここに「モネの庭」との疑問はあるが、まあそれは良いとしよう。
「モネの庭」を訪れるのは2回目で、改めて訪れればそれはそれで良い庭園だ。中心にある「水の庭」では睡蓮
の葉が円形や楕円形を保って水面全体にほどよく分布するように、水底で鉢に植え、週に一度は水中の落ち葉を
回収し、年に一度は池の水を抜いて睡蓮の株を交換している。
水の庭
池の周囲にある草木も、季節・時間帯による陽光なども考慮して、緑と空の水面への映り込みを計算して植えら
れている。園内では1000種類の花などを育てて植え替えている。
ボルディゲラの庭
風の丘より太平洋を望む
「モネの庭」を堪能していると、そろそろ夕暮れ時となったので、今日の宿泊地、高知市の25?ほど手前の芸西
村にある「よさこい温泉」に向かう。
ロイヤルホテル土佐にチェックインし、早速「よさこい温泉」にて温まり疲れを癒す。夕食は、ホテルで取らず、
予約した近くの海鮮料理屋「藤」にて、鰹のたたきや名物海鮮丼の海鮮料理を楽しむ。
活魚藤の鰹のたたき
室戸の海
明日は高知市内観光から仁淀川へ
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四国は、言わずと知れた日本列島を構成する北海道・本州・九州とともに主要4島の一つで、徳島県、香川県、
愛媛県、高知県の4県で構成されている。本州とは本州四国連絡橋(本四架橋)の開通により交流が盛んであり
近年では文化・政治経済において本州の影響を大きく受け、島という感覚は薄れ、陸続きと言っても良いほどか
もしれない。
しかし、四国はやはり南は太平洋に面し、北は瀬戸内海、東西は海峡にて隔離された島であり、だからこその
独自の文化や自然が残された魅力的な地域だ。
四国中央には、最高標高の石鎚山1,982m〜剣山1,955mの四国山地が連なり太平洋側と瀬戸内海側に区分され、
気候や文化にも独自性がある。山地からは吉野川や四万十川、仁淀川など豊かな水量の多くの河川が急勾配で海
洋に流れ出ている。それらの流れには美しい水と豊かな生態系が営まれ、山深くまで人々の生活があり独特の風
景が見られる。
四国には、若い頃ヒッチハイクで一周した経験があり、社会人となって仕事で高知に数度、高松や松山を訪れた
が、ゆっくり観光したことは無く改めて四国の魅力を知りたくなった。
四国というと空海が拓いた四国巡礼・八十八ヶ所はお遍路さんで有名だが、まだお遍路するほど人間ができてい
ないし、余裕もないので今回は八十八ヶ所霊場巡礼はしないことにする。
旅の目的は「四国水事情視察」として、業務繁多な時期に職場を空けることの言い訳とした四国水事情報告書
(旅行記)を、記録と記憶に残すためにブログをアップする。
四国への道
住まう北関東からは、四国までの最短ルートでも600km超ありちょっと遠いが、四国内の交通事情の不便さ、
現地移動の利便性のため、自車運転で行くことにした。
先ず、四国の入り口である徳島県鳴門市まで、高速道路を乗り継ぎ約610kmをひとっ走り。
ナビに従い一部(佐久南IC〜岡谷IC間)一般道を走ったものの、上信越→長野→中央→名神→中国縦貫→阪神
高速7号→神戸淡路鳴門自動車道と高速道路を乗り継ぎ、2時間毎の休憩と昼食時間を含め8時間ほどのロン
グドライブ。
明石海峡大橋 通過
明石海峡大橋にて本州を離れ、淡路島に渡り淡路SAにて本州・明石海峡大橋を振り返る。
淡路SAより明石海峡大橋全景
意外と大きい淡路島を通過し、大鳴門橋を渡り鳴門北ICを降りれば、もうそこは四国だ。
大鳴門橋 通過
鳴門の渦潮の発生時間に間に合うよう自宅を早朝4:20に出発し、途中大阪で若干の渋滞はあったものの予定
通り正午に淡路島を通過し、観潮船うずしお汽船乗り場に到着する。
残念ながら到着直後の12:30発観潮船は団体客で満員となっており、次便13:00発に乗船し、四国最初
の観光を開始する。
うず潮
鳴門の渦潮は、徳島県鳴門市と兵庫県南あわじ市の間の鳴門海峡で発生する渦潮で、瀬戸内海側の播磨灘と太平
洋側の紀伊水道との水位差、海流速度差により発生する。
渦潮を見る観潮船は、鳴門側からは小型の「うずしお汽船」と、大型の「鳴門観光汽船」があるが、今回はより
海面近くで見られ、格安なうずしお汽船にて観潮することにした。
出航時間まで、30分ほど港乗り場付近を散歩して運転疲れを癒して待てば、観潮を終えた前便が戻ってきて、
いよいよ乗船し出港だ。
うずしお汽船
渦潮発生箇所は、先ほど渡ってきた大鳴門橋直下付近で、観潮船乗船後数分で到着する。
大鳴門橋を直下より見上げる。
時間的に渦潮のピークが過ぎる頃なので、それほどは大きな渦は発生していないが、それでも、いくつかの渦潮を
見ることができる。
手前に大型観潮船「わんだーなると」、その向こうに淡路島から出航の「咸臨丸」
うず潮を満喫したら、再び大鳴門橋直下をくぐり港へ戻る。
渦の道
渦潮見物が終わったら、車で鳴門公園駐車場に移動し、大鳴門橋橋桁間に設置された海上遊歩道「渦の道」へ。
公園駐車場から岬の先へ進めば、橋桁下に渦の道入り口が現れる。
入り口から450mほど先の展望室にはガラス展望床があり、渦潮を見ることができる。
残念ながら、時間的に渦潮発生は治まってしまったが、通路や展望室からの太平洋、瀬戸内海の雄大な眺めは一興だ。
渦の道見物を終えたら、岬の先端「千畳敷展望台」へ。千畳敷からは、鳴門海峡と大鳴門橋を一望することができる。
大塚国際美術館
鳴門海峡の渦潮自然探勝の次は、鳴門のもう一つの人気スポット「大塚国際美術館」へ。
車で海沿いの美術館専用Pに行き駐車し、駐車場から美術館とを引っ切り無しに往復している無料シャトルバス
に乗れば、待つことは無く美術館へ行くことができる。
大塚国際美術館は、大塚製薬グループにより創られ、世界26カ国の西洋美術史を代表する絵画1,000余点を陶
板で原寸大に再現した「陶板名画美術館」で、建物は、斜面をくりぬくように造られ、地上2階地下3階、入り
口はさらに下階にあり、外部からは全貌が見られない構造となっている。展示スペースは地下3階の部分にあり、
延べ床面積29,412?を有する日本最大級の規模を持ち、世界の名画を一堂に集めた世界の美術館を味わえる。
人気スポットのためオンラインチケットを購入しておけば、混雑を避け並ぶこと無く入場できる。
美術館へ入場すると先ずは、長い上りエスカレータにて地下3階展示室へ。各展示室は迷路のようになっていて、
全て見ようとすると延長4?の動線があり丸1日かかりそうだ。
エスカレータを上りきるると、眼前に「システィーナホール」が現れ、正面の「最後の審判」に圧倒される。
システィーナホール
展示は、地階より古代→中世→ルネサンス→バロック→近代→現代と西洋美術の変遷が系統的にされていて美術史
的にも理解しやすい。
スクロヴェーニ礼拝堂
ヴィーナスの誕生
モネの睡蓮池
記念写真スポット
17時の閉館まで2時間ほど国際美術館を楽しんだら、今宵の宿泊地の徳島市内に向かう。
ゲルニカ
徳島市内及び近隣に適当な温泉宿が無いため、徳島駅近くのホテルに宿泊し夕食は、骨付き阿波尾鶏「一鴻」にて
美味い鳥と地酒を楽しんだ。今宵は、明日からの四国一周に備え、ホテルに戻り運転疲れを癒し体を休める。
骨付き阿波尾鶏
明日は、徳島から高知へ向かう。
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