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平成を振り返る

平成

 

 

5月1日にめでたく新天皇陛下がご即位され、新元号「令和」の時代が始まった。
4月30日の上皇陛下ご退位によるもので、このお祝事により10連休となった。
まあ、10連休できるのは大企業や公務員等で、多くのサービス業や中小企業は
関係なく、今日も自らしっかり働いている。それでも、日本の国民的祝事である
ご即位の日には良き時代になれよと祝い、週末に2〜3日休めば心身がやすらぐ。
尤も、10日も休んだら身体が鈍り、頭が惚けてしまいそうで働くことが一番だ。
こんな連休の最終日、人生2度目の御代替わり、令和の始まりに平成を振り返る。

 

 

平成の始まりは昭和64年:1989年、日本はバブル経済の真っ直中であった。
今思えば、この頃バブルの危険性が言われ始めたていたのだが、日本中が好景気
に浮かれ、冷静になれなかった。そんな年明け7日、突然昭和の終わりが訪れた。
昭和天皇崩御を知ったのは、宿泊中の苗場プリンスホテルのTVニュースだった。
朝食後に滑りに行くかと着替え中に、緊急放送されるニュースを食い入るように
見た記憶がある。正月明けの冬休みをユーミンを聞きながら苗場で過ごしていた。
これがバブル時代だったのだろうが、こんな昭和の終わり〜平成の始まりだった。

 

 

その時の年齢は30代前半、昭和に若く結婚をして、平成の始まりには姉と弟の
二つ違いの子供2人がいた。平成は、子育てに頑張り、楽しんだ時代でもあった。
結婚当初は、余裕がなく貸しアパートに住んでいたが、子供達の成長にともない
持ち家を建てたのも平成の始まりだった。子供達は健やかに育ち、小さな頃から
仲良く遊び、毎日曜にはラグビー練習に連れて行きグランド片隅で遊んだものだ。
毎夏冬の合宿や遠征にも行き、平成元年はニュージーランド遠征にも同行させた。

 


平成の始まりに姉5歳弟3歳、元年のNZ遠征以降は毎年海外旅行へ連れて行き、

外国にも馴染ませ、国内旅行、夏の海や山、冬の温泉やスキーには頻繁に行った。
そんな子供達は、多少の凸凹はあったが健康で優良に育って、平成時代の中頃に
巣立ち、各々の道を歩み始めている。少なくとも、己が授からなかった教育やチ
ャンスを子供達には与えられたのではと思っている。2人の子供が目指す大学や
仕事に就き、流暢に外国語を操り、世界中を飛回る姿を見ると頼もしくもあるが、
羨ましくもある。明るい家庭を築き、幸せな人生を歩んでいくことを願うばかり、
令和には子供(孫)に恵まれ、年数回で良いので顔を見せに帰省してほしいもの。

 

 

平成時代の楽しみの一つに、学生時代から継続してプレーした ラグビー がある。
卒業後の就職先にラグビー部があったので入部し、練習や試合に参加したのだが
同好会活動でしかなく未経験者が多いため、試合に15人集まらない状態だった。
そこで、どうせやるならと同地区にあったクラブチームに参加し、2年目主将に
抜擢されると、さらに強いチームにするために、そのチームを発展的に解散して
地域や出身校に囚われない新しいクラブチームを設立した。そして、強い選手達
を集め、平日は個人練習を、毎日曜にチーム練習を定期的に行い、群馬県下大会
では優勝を重ねトップチームとなり、上位の関東協会クラブ選手権でも優勝した。

 


平成元年には選手・家族も引き連れ総勢50名強でニュージーランド遠征を挙行。
オークランドやクライストチャーチで地元チームと試合を行い本場の強さ激しさ
本物との違いを体で味合わされた。試合後のパーティーではビールを飲み交わし
健闘をたたえ合い、早飲み競争では負けなかったと、負け惜しみを言ったものだ。
遠征とあわせNZ友好協会使節として、市長表敬訪問するなど積極的に交流した。
よほど面白かったのかNZへは、その後もう1回遠征した。クラブチームで2回
の海外遠征は珍しく、企画から人集め、行程や試合段取りまで全て自らで手配し
たのだから、楽しむための企画を自ら造り出すエネルギーは惜しまなかったのだ。

 


その後、協会役員として大会運営など地域ラグビーの発展に努め、50過ぎまで
プレーヤーとして走り、身体鍛練と精神安定のためラグビーを楽しませて貰った。
思えば、学生時代にラグビー部を創部して、社会人になってからもクラブチーム
を創部したのは、半端な既存に甘んじるのを嫌い、新しい改革を造り出したのだ。

ラグビーはやせっぽちの少年をいっちょまえの大人にしてくれ、大して運動能力

が無くても、他に14人+の良いメンバーを集め采配を振れば強いチームとなった。

おかげで15歳から40年以上スポーツを楽しみ、良き仲間と豊かな人生を得られた。
今はプレーや協会から離れ、一ファンとして2019WorldCupを楽しみにしている。

 

 

平成の始まりの仕事は、技術系サラリーマンとして働いていた。就職先は、非鉄
精錬企業で、専門が土木系衛生工学(水)だったのでエンジニアリング部門にて
生産施設・環境施設等の保守・設計・管理に携わった。その後、系列企業のエン
ジニアリング会社に出向させられ、外販事業を担当して平成の時代に至っていた。
この頃になると、自ら一連の仕事をこなせるようになり、人材不足だったからか
出先一部門を任かされ決裁権も得たことから、バブルでもあり好き放題にやった。
本部には日常の相談や連絡を行わず、事後報告だけしたのは組織の勤め人として
失格だったのだとは思うが、結果としてエンジニアリング建設部門にて営業から
契約〜施工までこなし、他部門に比べ利益を上げていた。決して1人の力でとも
思っていないが、周囲の上役や先輩達ができなかった受注や利益を上げていたの
も事実だった。そんな働き方は一部には認められたが、疎まれていたのも事実だ。

 

 

そして、平成5年に退社して起業した。従前より、勤め人をやめ起業する意思が
強くあった訳ではないが、組織内での違和感と疎外感を感じていた頃、他部門へ
の異動を命じる人事発令が直接原因だ。人事異動は、企業人として生きるための
試練なのだろうが、せっかく築いた仕事の流儀は捨てがたく、自ら組織を捨てた。
そのまま勤めていれば、今頃、役員や子会社社長程度には昇進したかもと思うが
それは我慢とストレスの結果だろうから、その時の決断は正しかったと確信する。

 

 

大きな志を持って起業したのではなかったが、名目上の退社日時には既に新会社
を立ち上げ法人登記も済ませ、翌日から事業開始していたのだから抜け目はない。
とりあえず、いくつかの建設系資格を取得していたので、建設業や建築士事務所
登録を行い、従前から営業物件を独立した会社にて請負うことで、仕事はあった。
しかし、一般の建設業は一定の利益が有り生活の糧は得られたが面白みに欠けた。

なにせ思うは_疾舛韻呂靴覆ぁ↓¬滅鬚い海箸鬚垢襦↓社会貢献、だったから

利益は得られても、既存事業者と関係してただ忙しく働くのは本意ではなかった。

 


そこで、環境関連事業ができないかと、独立起業した旨を関係の機関に伝えると、
いくつかの引き合いがあり、国内の環境施設の計画、設計申請業務を依頼された。
そのような中、国連環境機関とも関わる機会があり、多くの活動家や環境団体と
交流したことで環境問題や対策の認識が深まり、環境対策事業を主要業務とした。

 


さらに、環境活動を行うための組織として3つの目的の異なるNPOを設立した。
平成17年ジャパン・ウォーター・ガード、翌18年アスベスト処理推進協議会
平成21年炭素繊維水利用工法研究会を、内閣府より特定非営利活動法人として
認証を受け活動を開始した。当時は、日本国内にも様々な環境問題が有り活動が
活発化し東京都心に事務所を置き、関係省庁の閣僚や国会議員、霞ヶ関の官僚達

とも交流したが、その後の金融危機や政治不安から、国内活動は沈静化している。

 

 

平成最後の10年間は、企業活動とNPOとして環境活動を並行して行い、活動
の場は世界へ広がった。日本での活動が、数多くメディアで報道されたことから
環境汚染に苦しむ国々から、相談や引き合いが寄せられた。平成20年に中国へ
初めて行き事業開始してから韓国や台湾から東南アジア、南米やアフリカ大陸へ
と環境改善活動は広がった。近年、資源価格低迷や世界的経済不安から途上国の
需要は減っているが、中国、ロシア、インド等の新興国の水質汚染はすさまじく
改善が求められている。結局、いくらAI等先進技術が開発されても、途上国の
環境負荷は大きくなるばかりで、劣悪な水質汚染を改善する技術は現れていない。

 

 

こう振り返ってみると、平成時代はプライベートもパブリックも、様々に能動的
に試んだ時代であった。年齢的にも壮年期であり心身共に充実していたのだろう。
しかし、世界の環境活動は面白いが、営利事業として成功せず利益となってない。
原因は、基本的能力の欠如、出自や同窓の人脈不足、時の運、判断・決断の錯誤

何にも増して金儲けが下手なのだろうが、平成は終わったが、令和の時代が来る。

 


昭和で30数年、平成で30年、令和は何年?だか判らないがまだまだ頑張れる。
もうしばらく酒池肉林の宴は先にとっておき、老うことなく走り続けるしかない。
令和の時代には美しく調和がとれたより豊かな人生となるよう日々精進しよう!!

 


 

うぉータン | ちょっと言わせて | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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