赤壁古戦場

赤壁古戦場  散歩

 

 

赤壁古戦場気ら読む

 

鐘鼓楼を後に石段を登り、順路に則り見学路を暫く行くと諸葛亮が論戦をし

たという舌戦堂があり、さらに進み階段を下ると、大銀杏のある広場に出る。

 

 

広場には、後に蜀の軍師中郎将となる龐統が孫権・劉備軍から距離を置くため

金鸞山中腹に居を構えていたという鳳雛庵がある。龐統は赤壁の戦いの頃は孫

権軍の顧問的な役割にあり、孫権軍に属しておらず陣中ではなく鳳雛庵に待機

したという。長江沿岸の赤壁は、周囲には赤壁山、南屏山、金鸞山の3つの山

が連なり、対岸から押し寄せる曹操軍に対峙し陣を張るのに適していたのだ。

 

 

 

広場から階段を下ると史実を模した様々な構造物や彫像などが設置されている。

赤壁の戦いにおける孫権・劉備軍の勝因は、いくつかあるが最大の勝因は「火

攻め」を行ったことだ。火攻めを成功させたのは赤壁から対岸の烏林へと追い

風となる非日常の東南風が吹いたことで、諸葛亮が赤壁にある南屏山の拝風台

で東南の風が吹くよう祈ったという。諸葛亮は天文学と地理に通じていて冬至

の前に東南の風が吹く日があることは知っていたといわれる。

 

 

 

赤壁モニュメントの前でポーズをとるのは呉(孫権)軍の武将周瑜。三国志

では諸葛亮をはじめとした蜀(劉備)軍の武将たちが有名だが、実際の孫権

・劉備軍の主力は周瑜を総司令官とする呉軍である。

張飛

 

 

長坂橋で奮戦する張飛。劉備軍は長坂橋で曹操軍に敗北を喫すがこの戦いでは、

趙雲が単騎で曹操軍に討ち入り劉備の長男である阿斗(後の劉禅)を救い出した

後に長坂橋で張飛が追撃してくる曹操軍を撃退した。

 

 


諸葛亮が東南の風が吹くのを祈ったその南屏山に拝風台という建物が建てられ、

劉備、関羽、張飛、諸葛孔明の劉備軍の英雄4人の彫像が祀られている。

ここにも主力の孫権軍が、祀られていないのは、中国で最も読まれている小説

『三国志演義』が、蜀を中心に書かれてるからだ。そんな三国志演義から書か

れた三国志を読んだ日本人も蜀びいきが多い。というよりは正確な歴史として

の三国志は読む機会がなく蜀の武将しか知らない。

 

 

拝風台から南屏山を下ると、アオコでキレイ?な緑色の池がある。池の辺で話し

合うのは諸葛亮、正面には諸葛孔明が発達させた機械式弓を放ったという射箭台

がある。船上には兵士を模したわら人形が並び、ここから弓を放ったのだろう。

 

 

 

さらに進めば、長江を望む高台へと出る。正面には長江を横目でにらむ周瑜の

巨大な像がありこの場所が「赤壁」といわれる場所だ。展望台を下れば長江の

岸壁に赤く書かれた赤壁の文字、正しくここが赤壁、対岸が曹操軍が陣を張っ

た烏林だ。赤壁の直ぐ下まで水位の跡があることから、長江が増水するとこの

文字が隠れてしまうほど水位が上がるのだろう。増水時に訪れると、せっかく

の赤壁の文字が観られないこともあるらしい。

 

 

 

長江には、大型船が行き交い複層式自動車運搬船等や貨物船、沿岸には浚渫船

があることから川砂を浚渫しているようだ。

赤壁の高台から、階段を下れば呉の水軍が陣を張ったという広場がある。対岸

の曹操軍を見張り台や、兵士の住居を模したのかテントが何張りかあるがどれ

も大したものではない。見張り台にもハシゴで上れるが危なそうだし、面白そ

うなアスレチック擬きもあるが、どれも安全への配慮は全くされていない。

ここで事故に遭ってもしかたないので「君子危うきに近寄らず」である。

 

 

 

騎馬兵の戦いや曲乗りを見せるための乗馬場が現れる。乗馬体験ができ熱心に

勧められるので、遊び心から挑戦することに!?日本の乗馬体験は手綱を係員

が持ちパカパカ歩く程度のものだが、中国の乗馬体験は違う。馬にまたがり係

員に引かれて乗馬コースに入れば、係員は馬を反転させるとその勢いにて一気

に疾走させる。結構の速さで乗馬場を一周するので、振り落とされぬよう真剣

になる。馬は利口なもので一周すれば元の場所に戻る。落馬したらどうしよう

という思いもあるにはあるが、ついつい面白く2回も乗ってしまい、君子危う

きに近づいてしまった。まあ、怖がっていては楽しめない、これも中国流儀だ。

 

 

 

乗馬を楽しみ、曲乗りショーを観た後は出口へと向かう。テーマパークの出口

付近には、赤壁の時代の呉軍の砦が再現されていて、入口となる橋を渡り城壁

沿いを進み城門を潜ると、赤壁塔と呼ばれる7階建ての物見塔が現れる。高い

ところには登りたくなる習性があるので元気を出して登ることに、最上階から

は長江を望み、先ほど乗馬した乗馬場等園内を一望にできる。

 

 

 

出口付近には金城の陣といわれる建物群がある。金城の陣は十重二十重に防御

線を作って城の中にまた防衛措置を作る小城郭、落とし穴、狼の牙のようにと

がった扉など、難攻不落の陣といわれた。内部の兵站倉庫に位置するエリアは、

観光客の買い物目当て土産物屋となっているが、ここも閑散としている。

 

 

 

いよいよ出口となり駐車場へ戻る。実際の赤壁の戦いがどのように行われたの

かは、定かではないが、三国志好きとしては、この古戦場を観ることにより、

当時を想像するには十分だった。

 

 

赤壁の戦いが実際にはどのように行われたのか、何処で行われたのかは諸説あり

はっきりしていないようだが、三国時代に孫権、劉備、関羽、張飛、諸葛亮等の

武将達が曹操と争ったのは間違いないようだ。赤壁の戦いで敗れた曹操は北部へ

逃げ帰り、その後に華北を支配する王朝を創設した。

帰ったら吉川英治「三国志」全10巻を読み直そう!?

そんな気にさせてくれた赤壁古戦場観光でした。 また

うぉータン | 中国 | 15:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

赤壁古戦場

赤壁古戦場観光

 

湖北省武漢へ靴ら読む

 

武漢市は、三国志の舞台として多くの史跡や遺跡が残る観光名所でもある。
中国では、東漢時代の末期、魏、蜀漢、呉の3つの国に分かれ互いに対立

していた。この時代が三国時代(180年頃−280年頃)と呼ばれ三国志は

この時代の歴史を述べた歴史書だ。

 


三国時代の黄武二年(223年)呉の孫権は黄鵠山の川の側に夏口城を築き、

大部隊を配置したため周辺に商人が集まり都市が形成された。この場所を

孫権が「武運昌盛」の意をこめて武昌と命名したと伝わり、その内に造っ

た展望楼が現在の観光名所「黄鶴楼」だ。

 

 

三国志の名場面「赤壁の戦い」は、のちの魏の礎となった漢の丞相の曹操

が、北部を平定した後、南部も制圧するた大群を率いて領土拡大を図った

ことで起きた。曹操の攻撃にて孤立した蜀漢の劉備は軍師の諸葛亮(孔明)

を、呉の孫権へ使者として派遣した。孔明は孫権の総司令である周瑜と意

気投合し、2つの勢力は共に曹操と戦う同盟を結ぶ。孫権は周瑜・程普ら

数万の水軍を劉備の救援に派遣し、長江を下る曹操軍と「赤壁」で一戦を

交えることになった。孫権・劉備軍は、孔明が追い風となる東南風を予測

し「火攻め」により、3万の兵力で30万の兵力の曹操軍を撃破した。

 

 

これが三国志の中心史劇として多くの文学、演劇、映画でも語り次がれて

いる「赤壁の戦い」だ。吉川英治の「三国志」は歴史小説として、面白く

ジョン・ウー監督の映画「レッドクリフ」で一躍有名となった。

そんな赤壁観光に行くことになり、これだけでも武漢にきた甲斐がある。

 

 

武漢が三国志の舞台であることは知っていたが、さすがに赤壁までは行け

なかった。今回、湖北大学教授の好意にて行けることになり嬉しい限りだ。
とは言っても、赤壁の戦いが実際にはどこで行われたのかは武漢より上流

と言うくらいしか知らなかった。調べてみれば赤壁古戦場は武漢市の南西

直線距離で約105kmほどの湖南省との省境にある湖北省赤壁市にある。

高速鉄道でも最寄りの駅「赤壁北」まで行けるようだが、車で2時間ほど

の距離らしく、遅い朝にホテルまで迎えの車が来て出発だ。11月にはめず

らしい晴天無風の観光日和にも恵まれ幸先も良い。

 


高速道路を1時間ほど走り一般道に降りてそろそろ到着かと思っていれば、

突然脇道に入りどこへ行くのかと思えば、田舎の食堂で食事をするらしい。

自家取りの農作物や魚を調理し出す店があるようだ。ところが、最初に入

った店は調理人がいないため食事ではなく山に入りミカン狩り、日本で言

う観光農園だ。農薬は心配だったが食べてみれば思ったより甘いミカンだ。

 

 

思わぬミカン狩りを早々に引き上げ、山道を行き次の店を探すと、湖畔に

人だかりのする店を発見。こんな場所のひなびた店に中高年の多くの客が

いるのにも驚きいたが料理は美味く、高級料理より口に合うかも知れない。

 


昼食の後は、山道を戻り赤壁古戦場へと向かう。道幅だけ広い田舎道を行

くと、突然広い駐車場に着く。赤壁古戦場は、テーマパークとなっていて

駐車場の向こうには巨大な城門があり、その前には中国らしく広〜い広場

がある。その広場に観光客は数人しかおらず閑散としている。聞けば10月

の国慶節の休暇には混雑したが、それ以降は観光客は少なく、日本からの

観光客も少ないようだ。空いているのは幸いであり、ゆっくりと見ること

ができる。

 

 

早速、城門入り口から入場すると正面に現れるのが巨大な神武台が現れる。

幅26m、奥行8m、高さ12mのステージで、銅製の壁には虎の絵が彫られ、

この神武台の上から周愉が兵士の訓練をチェックしていたといわれ、赤壁

の戦いの前夜に、孫権・劉備軍の兵士たちが生死の契りの儀式を交わした

と伝えられている。

 


神武台から左手に向かうと、広場に演舞場があり、観光シーズンには周瑜

や諸葛孔明による閲兵式や演劇が催されるようだが、今は閑散としている。
広場の奥には、船着き場があり左右の城壁と、正面の城門に往時の水軍の

模様が想像される。冷めてみればよくこんなテーマパークを造ったな思う

が、赤壁の戦いを思うには十分であり、こんな巨大施設を造れるのはさす

が中国だし、閑散でも経営破綻しないのが中国だ。

関羽

張飛

孔明

 

広場から、いよいよ場内散策ルートに入っていく。先ずは鐘鼓楼があり、

その奥には財神殿がある。財神殿に奉られているのは関羽、張飛、孔明の

三人で、主人公は商売の神様と知られる関羽だ。関羽は武将としても有名

だが、義に厚いとされる事から財神、商売の神として中国を始め華僑によ

り世界中の中華街に関帝廟として祭られている。

張飛ガンダム(正面)

(後面)

 

ただ、鐘鼓楼の前にドーンと構えるのが張飛を模したガンダム?。これは

いらないだろうと思うが張飛ガンダムキャラもあるようで、こんなものも

造ってしまうのが中国だ。商標問題はさておき、史実と空想の英雄を一緒

にしてしまうところが???。

 


張飛ガンダムに圧倒されたところで長くなったので一休み、続きは赤壁兇如
 

うぉータン | 中国 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

湖北省武漢へ

湖北排水処理

 

湖北省武漢へ兇ら読む

 

武漢2日目は下水処理場の視察だ。2箇所の都市下水処理場と薬品工場廃水処理

設備を視察して問題解決提案を求められている。ホテルに迎えがあり車にて出発、

行き先は知らされていないが身を任せるしかない。約1時間30分の行程で着いた

のは、武漢中心部から80kmほど北方にある孝感市孝昌県の都市下水処理場だ。

 

 

中国の行政区分を説明すると先ず省級、地級、県級等の都市が定められ、その市

の傘下にいくつもの区や市や県がある。日本の県の中に市がある行政区分と異な

るため、ややこしくて解りづらい。因みに武漢市は副省級市で、武昌区はその市

街区だ。孝感市は湖北省の地級市で孝昌県はその市中にある。

 

 

孝昌県下水処理場はオキシデーションディッチ法(OD法)の合流式下水処理場、

処理量:30,000㎥/日。OD法は酸化溝法とも言われ長く、浅い酸化槽(水路)

にて長い滞留時間、曝気を行い維持管理が容易という利点があるが、面積が必要

なため国土の広い中国で多く見らる古典的処理方法だ。現在は中国中信集団公司

グループ企業の一つ中信環境水務有限公司が運営を行っている。中国中信集団は

国営中央企業で中国最大級の産業・金融の総合コングロマリット(企業集団)だ。

中国共産党との関係も深く伊藤忠商事が巨額の出資を行ったことでも知られる。

 

 

そんな中国の大企業が地方の下水処理場運営まで手を出している事に驚かされるが

それだけ環境事業分野が巨大であり利益の源泉となるのであろう。そんな中信傘下

の下水処理場にて技術採用されれば、市場は大きく利益も見込めることから大学も

企業も熱心なのだ。

 

 

下水処理場は古典的なOD処理方式であり、問題は汚泥処理と脱窒だ。以前に、

武漢市内で視察した下水処理場もOD法だったので、どうもこの辺りで流行って

いるらしい。中国というのは可笑しなもので、一つ良いと思ったら他も全て同じ

に作ってしまうようだ。隣地には、工業廃水処理場が建設予定で概要が標示され

こちらの処理方式は高度処理を取り入れ、OD+MBRだ。

 

 

下水処理場視察は終わり次は湖北省一?の漢方薬工場に行くことに。漢方薬工場

の廃水処理は高濃度廃水でありUASB法嫌気処理を組み合わせた高度処理を行っ

ている。高濃度廃水のため処理工程も複雑で改善は何ともいえないが、良かった

ことは、この漢方薬工場にて製造している「マカ」をお土産に貰ったこと。マカ

と言えば強壮剤として効果的でかなり高価らしい。まあ特に必要とも感じないが

飲めば何となく強くなった気がしてくる。お試しご希望のご婦人はぜひ挑戦あれ!?

 

 

 

 

これで午前中の視察は終わり下水処理場長と漢方薬工場の社長と一緒に昼食だ。

孝昌県市街地の料亭にて、中華料理をたらふく食べ満足。

 

 

腹一杯の中華料理を食べた後は、さらに40kmほど北方にあるの広水市へ向かう。

広水市は、地級市の随州市に位置する県級市で市の中に市がある。

広水市下水処理場へ到着して、休む間もなく早速視察を行う。

 

 

ここもOD法の合流式処理場で処理量50,000㎥/日で中信集団の運営のようだ。

そして二つの下水処理場とも湖北大学の看板が掛かっていることから、関係が深

く処理場長と教授は懇意らしい。この下水処理場も増設中で、既設のOD槽の隣

に、全く同じ形式のOD槽があり試運転中であった。ここも汚泥処理が問題とさ

れ、汚泥の含水率を下げるため苦労している。既設のベルトプレス脱水機では機

能しないためフィルタープレス脱水機2台を増設する計画だ。

 

 

そんな処理方式はさておき、新規処理設備の品質の悪さが気になる。建築屋とし

ては打ちっ放しコンクリート面の目違い、セパ穴の補修がいい加減、スラブ床は

均しただけで仕上げていない等々が許せない。これで許してしまうのが中国の技

術レベルなのだから、この処理場で高度な水処理ができるとも思えない。

 

 

中国で本当に必要なのは、高度処理ではなく、普通の設備を、普通に作り運営す

る普通の技術なのだ。もっとも、日本人の普通が中国ではとても高度なのだろう。

 

 

そんなことを考えつつ下水処理場の視察は終わり、武漢に戻るのかと思ったら、

広水下水処理場の人と晩餐をともにすることになった。

 

 

広水市内の料亭に場所を移し、中華料理のおもてなし、ありがたいようでありが

たくない。そして、再びたらふく食べ、麦酒と少々の白酒を頂き、2時間かけて

武漢市のホテルに戻る。

 


ホテルは大学側が用意をしたもので、手配の時の要望はバスタブと朝食付きとお

願いした。とかく中国のホテルにはバスタブがなくシャワーだけのところが多い。

5星クラスならバスタブ付きが多いが、4星だと無い場合も多い。夏ならばシャ

ワーだけでもかまわないが、寒い季節は湯槽で温まりたいのが日本人。そんなこ

とで、ホテルの部屋にはバスタブがある。あるにはあるが、場所はベット横の窓

側だ。こんな配置のバスタブ付きの部屋にも以前、杭州で泊まったことがあるが、

全く使いづらい。宿泊目的が他にあればこの配置も悪くないが、ビジネスでの一

人部屋には不便なだけだ。まあ、これも中国楽しみたい。

 

 

武漢の公式行事はこれで終了で、視察という名の観光に案内してもらったので

次にそのご報告を。武漢と言えば三国志、三国志といえば「赤壁の戦い」だ!?

 

赤壁古戦場気

 

 

うぉータン | 中国 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

湖北省武漢へ

湖北大学仕事

 

湖北省武漢へ気ら読む

 

LCCでもほぼ定刻に武漢天河空港に到着。武漢は何度となく来ているが日本から

の直行便で国際線Terminal到着は初めてだ。武漢市は長江の水運により栄えた華

中地域の中心都市で、近年では自動車製造業の工業団地ができ発展し続けている。

しかし、まだ国際航路は少なく、国際線Terminalはこぢんまりとして空いており

入国手続きも時間がかからない。ただ中国の地方空港の入国管理官はどこも無愛

想で歓迎という態度ではない。これも中国、時の経過と共に変わっていくだろう。

 

 

殺風景とした到着ロビーにでると、約束通り名前札を持ったホスト役の湖北大学

教授が出迎え車にて武漢市内に移動する。今回は大学からの招聘で全てお任せだ。
車中にて、日本留学経験のある教授より本日及び滞在中の日程の説明があり今日

はこれから湖北大学に行き歓迎会談と講演会、夜は歓迎宴会があるようだ。

できれば、ホテルに行って休みたいが、招聘された身としては任せるしかない。

 

 

湖北大学は武漢市武昌区に在り、1930年に創設された省属(公立)の4年制総合

大学。国際間での他大学とのつながりに重点を置き、日本を始め米、英、豪など

の100を超える大学および研究機関と情報交換・共同研究など行っている。

 

 

大学ランクとしては、常に中国10位以内の武漢大学に比べて下回るが、反面海外

から学ぼうとする態度は積極的のようだ。最も、今回も自分に話のある位だから、

きっと日本中いや世界中の環境企業や大学に声をかけているのだろう。

 

 

武昌区は長江の南(東岸・右岸)に位置し、武漢大学を始め他の多くの大学が在り

東湖や沙湖等の湖沼、黄鶴楼などの歴史遺産、湖北省政府等の国家機関も存在する

武漢市の政治と文化の中心地域である。空港から武昌区へは高速道路で40〜50分

程の距離で長江は武漢第二橋を渡るのが常道。第二橋は武漢大学を訪れた際にも何

度となく渡っているが、橋から眺める長江は相変わらずの大河で悠然と流れている。

行き交う船舶も多く中国の経済はまだまだ盛況であることが解る。ただ、水は相変

わらず濁り、汚いことにも変わりない。

 


湖北大学に到着すると、資源環境学院(学部)に案内され学院長との会談にて歓迎

の意や大学の紹介や湖北省の環境汚染現状の説明が行われ、環境改善技術の協力要

請を受ける。まあ、感謝の意や要請はお決まりとして、肝心なのは具体的な実行と

資金投資であり、それがなければ掛け声だけで終わる。それでも、熱心に語る姿を

見ると環境汚染の深刻さと、環境改善の事業化を図りたいことは伝わる。大学名の

入った記念品や中国土産まで貰ったが、こちらからは成田で買った東京バナナ1箱

では少なかったかなともちょっと反省。

 

 

会談が終わると、講演をするために会場へ案内される。事前に講演依頼はあったも

のの、学生相手に何を話せば良いのかと悩みもしたが、日本語で話すのだからいつ

も通りの話をするしかない。会場はちょっと大きめの講義室で既に200人位の学生

と先生方が待っていて、日本語学科の学生や日本よりの留学生も居るようで日本語

での挨拶も受ける。

 


講演では技術紹介と中国での活動状況、愛水運動などの参加募集を行った。公演後

の質疑応答では、日本語の話せる学生が通訳となり、熱心な質問と討議が行われ中

国学生の一生懸命さが伝わる。この気持ちを何時までも持ち続けて欲しいもの。

講演と質疑応答で2時間程、18時頃に講演会が終了。そろそろホテルにて休みたい

が、休む間もなく晩餐会場へ行くらしい。朝3時起床の強行軍でクラクラするが、

せっかくの歓迎会を断るわけにもいかない。日本からの訪問だからと、東湖沿岸の

高級料亭を予約しているらしく、行程も時間がかかり到着したときにはダウン寸前。

 

 

しかし、湖面上に設けられた席にて食すちょっと辛い湖南料理は美味く、食の進む

ほど、アルコールの回るほど調子を取り戻し久しぶりの中華料理を楽しんだ。

日本語の話せる学生1人と、日本からの留学生2人も参加して楽しい宴席であった。

留学生は横浜と新潟から来ていたが、中国に来て以来初めて本格的な豪華中華料理

を食べられ上機嫌、これから日中関係がどうなるかは解らないが、若者が交流する

ことは良いことだ。宴は盛り上がったが、それでも用意された白酒は丁重にお断り

して、早めに切り上げ、ホテルに戻り23時にチェックイン。

LCCの機内で多少ウトウトしたものの、休まった気はせず、本当に長い一日だった。

 


ホテルは、湖北大学から2〜3km離れたより愛家国際華城という住宅団地の入り口

にある。こぢんまりしたプチホテルという感で周りに繁華街などが無く静かで良い。

 

 

 

街路は一見オシャレにはできているが、遊歩道には洗濯物が干してあり、道端では

卓球に興じる人たちが居る、これが中国だ。

長い一日を書き出したら文章も長くなったので、今日はこれで一休み、続きは!?

 

湖北省武漢へ靴愨海

 

 

 

うぉータン | 中国 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

湖北省武漢へ

LCC春秋航空武漢

 

早いもので11月も立冬を過ぎ、晩秋から初冬の様相となってきた。これといって

何をするでもなく時間だけが過ぎ去るが、この秋はしばらく途絶えていた中国渡

航する機会があったのでご報告。9月に山東省青島へ、そして今月初旬に湖北省

武漢へ行ったので、旅の記憶を書き留めるためにもブログ更新。

 


先週行った湖北省武漢は2011年4月に初めて訪問し2013年までに5回ほど訪問

している馴染みのある中国の古都である。当時の訪問は武漢大学水利水電学院と

の技術協力による実証事業が目的で、実証そのものは武漢東湖の水質浄化を成功

したと言えるが、その成果が良すぎたのか武漢企業が模造品製造を行ったため、

担当教授と揉めて関係が疎遠となり武漢訪問の機会もなくなっていた。

 

 


ところが今年の年初頃より、武漢の別の大学「湖北大学」教授より技術協力の要

請と業務提携の依頼のメールが届いた。その後多くのメール交換をし3月には業

務提携契約締結し、度重なる強い招聘を受けての今回の訪問へとなった。武漢は

夏は暑く冬は寒い気候変化は激しい内陸性の土地柄だが、この11月初旬は天候も

安定して日本と変わらぬ気候のため気晴らしも兼ねての観光気分での訪問だ。

 

 

今回の武漢行きで特筆することは、初めてLowCostCarrier(LCC)春秋航空を利用

したことだ。話題の格安航空にはいつかは乗ってみたいと思っても利用する機会

がなかった。いくら安くとも安いだけで乗り心地が悪く、発着時間も制限がある

ためあえて乗りたいとも思っていなかった。ところが、調べてみると武漢への直

行便があり発着時間も都合が良いことが解った。同じく武漢への直行便が就航し

ている全日空ANAと比べて時間的に都合が良くかつ安い。全日空の場合、往路は

夕刻発便で到着が深夜となり復路は早朝発便で朝が早い。日本では時間があるが

現地の時間が少ない。春秋航空ならば、往路日の午後と復路日の午前中が使えて、

現地滞在時間が長く、余裕を持って日程を組める。

そんな訳でLCCで武漢へ行くことになり、先ずは、初めてのLCC搭乗記をご報告。

 

 

成田空港は、LCC専用Terminalとして第3Terminal(3T)がある。3Tへは2T

を経由して行くが、初めての事なので余裕を持って早めに到着することにした。

2Tまではいつも通りで、2Tからは連絡バスあるいは歩いても15分で行ける。

2T到着階から外へ出て右に歩くと連絡バス乗り場があるが、ここは運動のため

歩いて行くことに、渡り廊下のような屋根付きの通路を行く。通路床には色分け

されて解りやすく迷うことなく行くことができる。格安国空に乗るのだから、動

く歩道や密閉された屋内空間を期待してはいけない。早足で10分程歩けばエスカ

レーターがあり右折すれば3T入り口だ。
自動ドアを入れば、直ぐにチェックインカウンターがある。ここも広々とした空

間を期待してはいけない。さしづめ中国の地方バスターミナルの様相だろうか。

春秋航空のカウンターは、入り口直近の一番手前にあり、便利と言えば便利だ。

 

 

乗客のほとんどが中国からの団体旅行客で、帰り便のようだ。個人客は少なく、

日本人はほとんど見当たらない。まるで、成田のチェックインカウンターから

中国だ。これも、日本の観光事業者が中国からの爆買い旅行客で潤っているこ

とを考えればしかたない。春秋航空は中国の航空会社であり、これも慣れるし

かない。ひょっとしたらこれが、これからの世界標準かも知れない。

 

 


個人で春秋航空で予約することもNetで簡単にできるが、初めてだといくつかの

問題もある。初めての人のために、参考までに注意事項をお教えしよう。

搭乗便を指定することは、武漢へは成田から週に3便だけなので自分の都合があ

えば問題なく指定できる。価格設定は、荷物の重さにより3種類あり、機内持ち

込み5kgだけならば最も安く片道1万円以下だ。仕事の場合、手ぶらともいかず

預け荷物と合わせて15Kgのクラスとした。今回は書類やカタログ等の紙類、着

替えや身のまわり品も必要最小限としたので問題はない。座席を指定すると料金

がかかる。狭く、賑やかな団体客に挟まれるのも嫌なので、前から2列目のちょ

っと広い席を指定した。しかし乗ってみれば、4列目以後は満席だが前指定席は

一人だけで貸切状態だ。

個人客も何人かは居るのだろうが、多くは狭い席で格安に徹しているのだろう。

 

 

注意しなければならないのは機内食だ。機内食もサイト予約できる。5時間近い

フライトで食事抜きもつらいので予約してみた。2種類の弁当があり各2300円

とちょっとLCCとしては高い。これも空料金と思い往復で異なる弁当を予約した。

しかし、乗ってみればこの弁当を頼んだのも一人だけだ。空弁はどんなに美味し

いかと思いきや、出てきた弁当は、一部まだ凍っていてお世辞にも美味くない。

 

 

復路も、違う弁当を楽しみにしていたが同じ弁当がでてきた。CAがしきりに謝

るが何事も経験で、愛想の良いCAには文句を言わない。ご安心あれ、機内では

800円の弁当、カップヌードル400円、缶ビール、缶チューハイ各500円等々販売

しているので必要により買えば良い。事前にこれらの機内情報も、Netにて案内

してもらいたいもの。知らないのはLCC初心者だけで、中国人は弁当持ち込みだ。

持ち込みが当たり前で、機内食を楽しみにするなど遊び心を持っては駄目なのだ。
それでも、LCCは基本情報があれば、フライトそのものには問題なく利用できる。

搭乗ゲートに飛行機が直結せずバスで行くことや、3TにLoungeがないことも、

LCCなのだから当たり前と思うしかない。そもそも、LCCに乗る人はLoungeの

存在を知らないようだ。

武漢空港国際線Terminal

 

ちょっと良いことと言えば、復路の武漢空港国際線TerminalはLCC専用ではない

ためFastclassLoungeにてビールと軽食が楽しめ、搭乗にはFastclass専用車にて

飛行機まで送ってくれ優先搭乗することができた。春秋航空機のクルーがパイロ

ットも含め全て日本人であったことも、ちょっと嬉しく安心した。

まあ、何事も経験として全日空の半額以下で往復でき、時間も有効に使えたのだ

から良しとして、機会があればLCC武漢便を利用しよう。
久々の武漢訪問記も到着する前にLCCの事だけで、長くなったのでここで一休み。

 

 

武漢は長江沿いの水の都、長江には上流の工業都市重慶等からの貨物船が行き交う。
武漢滞在記は次回(書けたら)とするのでお楽しみに!?

 

湖北省武漢へ

 

 

 

うぉータン | 中国 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

お伊勢参り

伊勢神宮  別宮

 

お伊勢参り靴茲蠧匹

別宮とは、御正宮の「分宮」という意味で、御正宮についで尊いお宮のこと
皇大神宮(内宮)に10ヶ所、豊受大神宮(外宮)に4ヶ所の別宮がある。
外宮の全ての別宮|多賀宮|土宮|風宮|月夜見宮と、内宮の別宮|荒祭宮
|風日祈宮は、敷地内及び近くにあるので御正宮ご参拝の際に、参拝したが

内宮の他の別宮は伊勢市内及び周辺地に鎮座されているので、ちょっと足を

伸ばしてご参拝へ行くことに。

伊雑宮神田鳥居

 

 

伊雑宮(いざわのみや)
先ずは、志摩市磯部町にご鎮座する伊雑宮に。伊雑宮は、天照大御神の御魂
をお祀りし「いぞうぐう」とも呼ばれ、古くから「遙宮とおのみや」として
崇敬を集め、地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒ほうじょうが祈られ
てきた。別宮14社のうち伊勢国外のものは伊雑宮(志摩国)のみで、10
社ある内宮別宮の中で荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされている。

伊雑宮鳥居

伊雑宮


神田を持つ唯一の別宮で、毎年6月24日に行われる御田植式はとても雅な
神事で「磯部の御神田(おみた)」の名で国の重要無形民俗文化財に登録さ

れ日本三大田植祭の一つとされている。

伊雑宮神田

 


農業・漁業をお祀りする別宮らしく、海の幸、山の幸には欠かせないお神酒
として、伊勢神宮の唯一の御料酒「白鷹」の他「沢の鶴」も奉献されている。

伊雑宮奉献酒

 


月読宮(つきよみのみや)
伊勢市内に戻り、内宮からほど近い1.8kmの中村町にご鎮座する月読宮に。
宮域には同じ内宮別宮の、月読尊の魂を祭神とする月読荒御魂宮、伊弉諾尊
を祭神とする伊佐奈岐宮、伊弉冉尊を祭神とする伊佐奈弥宮の3社がある。

月読宮3/4宮(月読宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮)


右から月読荒御魂宮◆月読宮 伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮い了擁無椶
並んで鎮座し、参拝は月読宮→月読荒御魂宮→伊佐奈岐宮→伊佐奈弥宮の順
が正しい。並びと、参拝順が違うのでややこしいが、これも神の習わしです。

月読宮

月読荒御魂宮

伊佐奈岐宮

伊佐奈弥宮


月読宮のご祭神は月読尊で、天照大御神の弟神で外宮別宮月夜見宮のご祭神
と同じ、「月を読む」と記すとおり、月の満ち欠けを教え暦を司る神である。
最高神天照大神の弟神の月読尊が祭神であることから、内宮別宮としては天
照大神の魂を祭神とする荒祭宮に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最
高位の別宮。神様の世界は、格式や序列のはっきりと定まった社会のようだ。

月読宮3/4宮(伊佐奈岐宮、月読宮、月読荒御魂宮)

 


倭姫宮(やまとひめのみや)
月読宮より、少し市内に戻る内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に
鎮座する倭姫宮にご参拝。祭神は、日本神話で第11代垂仁天皇の第四皇女
と伝えられる倭姫命で、2代目の斎王として天照大御神に奉仕し、諸国を巡
幸したあと、伊勢の国に入り現在の地に神宮を創建した功神と云われている。

倭姫宮鳥居


別宮14宮の中で、創建が明確であるのは倭姫宮のみで1923年(大正12年)
11月5日に、ご鎮座されたという極めて新しいお宮。

倭姫宮


倭姫宮のある倉田山の西側には、緑のあざやか森林があり付近には伊勢神宮
の博物館である神宮徴古館・農業館、美術館、神宮文庫等がありこの辺りを
倭姫文化の森と言うようだ。これらの建物が立派なのにも驚くが、見物客が
少ないのにも驚く。伊勢神宮がこれだけ注目を浴び、内宮の駐車場は満車だ
というのに、これら施設はガラガラだ。まあ、折角だから一見の価値有り!

伊勢神宮を含め、これだけの施設を有し運営する神宮司庁という組織の実態

がどうなっているのか疑問ではあるが、これも神様の世界の話なのだろう??

 

神宮徴古館

 

これで、今回のお伊勢参りは終わり。まだ、別宮の度会郡大紀町に鎮座する
瀧原宮と瀧原並宮の2宮にはご参拝できなかったが、次の機会にすることに!

 

お伊勢参りが終われば、これからは観光の始まり!!伊勢志摩というように

伊勢神宮の周辺には観光地もたくさんあるので、ちょっと観光もしましょう!?

 

気が向いたら、つづく

 


 

うぉータン | 水辺散歩 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

お伊勢参り

伊勢神宮 周辺散策

 

お伊勢参り兇茲蠧匹

内宮をお参りした後は、宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの
通りある土産物店・飲食店街おはらい町で、B級グルメも楽しみの一つだ。

伊勢うどん


先ずは小腹を満たすために「伊勢うどん」。たまり醤油をベースにした黒い
だしに極太の柔らか麺は、正に伊勢のB級グルメで美味い?まあ食べられる。

赤福餅

 

すっかり全国的に有名になった「赤福餅」やわらかい餅と甘すぎない餡の
組み合わせが美味い。赤福本店で提供される赤福餅は、やはりひと味違う。

白鷹酒造

 

伊勢神宮の御料酒として全国唯一の白鷹酒造、伊勢の大御神の御饌として
毎日外宮の御饌殿殿に供えられる。店先でも頂けるようだが今日はガマン!?

猿田彦神社

 

おはらい町を通り抜け、大通りを一寸歩くと見えてくるのが猿田彦神社だ。

猿田彦神社

 

日本神話に出てくる猿田彦大神とその子孫の大田命を祭神とした交通安全
方位除けの神社として信仰されている。境内には、天照大御神が、天岩窟
(あめのいわや)にこもられたときに神楽を踊り大御神を再び現したという
芸能の女神であり、日本最古の踊り子天宇受売命(あめのうずめのみこと)
を祭神とした佐瑠女神社もあり、日本の神話と歴史の深さを感じさせる。

佐瑠女神社

 

猿田彦神社の次は、猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が、鎮まるという
二見興玉神社に参拝に、かつて伊勢神宮を参拝する人たちが身を清める場

所として、神宮参詣者たちの宿泊場所としても栄えた名勝二見浦にある。

夫婦岩


ここで有名なのは「夫婦岩」男岩は高さ9m女岩は高さ4mで、二つの岩を
結ぶ大注連縄で結ばれて縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益がある?

夫婦岩のかえる

二見興玉神社の鳥居

 

海を眺めた後は、山手へ向かい伊勢神宮内宮の奥の院と言われる金剛證寺
お伊勢参りで必ず訪れる場所、内宮南方朝熊山にある臨済宗南禅寺派寺院
平安時代825年に空海が真言密教道場として中興、室町時代には神仏習合
から伊勢神宮の鬼門を守る寺として伊勢信仰と結びつき、伊勢の最大の寺
「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」
伊勢市と鳥羽市を結ぶ山岳道路 伊勢志摩スカイライン の山頂付近にある。

金剛證寺

仁王門

 

総門から入り、石段を登ると山門(仁王門)が有り左右に怖そうな仁王様
境内に入れば、弘法大師が造った伝えられる蓮の花が美しく咲く連珠池が
あり、池の中頃に赤い太鼓橋が架けられ聖地と俗界との結界を表している

仁王様(左)

仁王様(右)

連珠池

 

御本尊の「福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぞうだいぼさつ)」
は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三
徳を有する仏様である。本堂摩尼殿の前は、左右に牛と虎が寝そべり守る?。

本堂摩尼殿

虎 寅

金剛證寺本堂

 

お伊勢参りというと、外宮と内宮だけと思われがちだが、周辺には多くの
神社仏閣が存在している。古くから、伊勢地方が日本の信仰の起源と解る。
とかく宗教心は薄れがちだが、困ったときの神頼みや冠婚葬祭には神仏は
欠かせなのだから、せめてお伊勢参りの際には、感謝と祈願をしたいもの。
そして、宗教に頼らずとも生きていける日本の地勢、豊かさに感謝したい!?


さて次は、別院へお参りに!!

お伊勢参り犬つづく

 

 

うぉータン | 水辺散歩 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

お伊勢参り

伊勢神宮 内宮

 

お伊勢参りより読む

外宮から内宮へは、バスが頻繁に運行している。外宮入り口前に待機して

いる内宮行きのバスに乗り込めば10分ほどで内宮入り口へ到着する。

バス料金は少し高い気もするが、これも神様へのお賽銭と思えば高くない。
到着するバス停は、内宮の入り口「宇治橋」前の広場の直ぐ近くにある。

宇治橋

 

バスを降り、内宮方面にちょっと歩けば、直ぐに宇治橋の鳥居が見えるか

らわかりやすい。因みに、旅の楽しみのおはらい町通りは、バス通りから

五十鈴川側に並行して通っている。先ずは、内宮へお参りすることとして、

宇治橋を渡る。内宮では右側通行なので、宇治橋も右側通行だ。外宮は、

左側通行だったが、これは御正宮の位置によるもので神様の通り道は中央

参拝者は外側の遠い方を歩くのが礼儀のようだ。

宇治橋を渡る

 

宇治橋を渡り、右に曲がると広い参道が続く。ここも右側を砂利を踏みし

め進んでいく。やがて、神苑広場や火除橋を過ぎると右手に手水舎がある。

内宮参道

 

手水舎で清めるのも良いが、少し進むと川に下る道があり、川沿いに五十

鈴川御手洗場がある。川岸に石床を造り五十鈴川の流水で手や口を清める。

御手洗場

 

川の水を口に含むのは、大丈夫かなとは思うが、ここは川の水も御神水で、

尊い清水なのだ。まあ、伊勢の山々から流れ出た水なのだから問題は無い。

なにより、御手洗場より眺める五十鈴川は川霧が立ち神秘感がましている。

五十鈴川は川霧

 

五十鈴川の御神水で手や口を清めた後は、いよいよ内宮御正宮へと向かう。

道は大きく左へ曲がり内宮神楽殿をすぎると、左側に御正宮が見えてくる。

内宮御正宮は、石段を登った上にある。ここも石段からは撮影禁止なので、

写真はしたから取ってお終い。さすがに、人が多いがこれもしかたがない。
内宮(皇大神宮)は、神路山、島路山の麓、五十鈴川のほとりに鎮座され、

皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしている。

現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集め、平安末期より全国に

広がった国家の守護神として崇める伊勢信仰の発信地でもある。

御正宮

 

まあ、日本人の古来よる持つ森羅万象に神が宿り、全てから恵みを受け神

に感謝するという神道の総元締めというわけだ。昨今、世界中で蔓延する

他を認めない宗教対立や、それを起源とするテロ、殺戮、戦争を思えば、

日本の宗教観はなんて穏やかなものだろうと、感謝するしかない。これも、

日本という恵まれた地勢によるもので、日本人となれたことを感謝しよう。

御稲御倉

外幣殿

 

御正宮を参拝した後は、内宮に属する十別宮のうち第一に位する「荒祭宮」

にお参りに。参道を少し戻り内宮側に曲がり進むと神田から収穫した抜穂

の御稲が納められ御稲御倉や外幣殿等がありやがて「荒祭宮」が姿を現す。

荒祭宮

 

ご祭神は、天照大御神の荒御魂。神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」

と申し上げるのに対し、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂

の働きを「荒御魂」とたたえる。

風日祈宮橋より


参道を少し戻り、風日祈宮橋を渡って別宮「風日祈宮」へお参りに向かう。

風日祈宮橋は五十鈴川支流に架かる橋でこれも遷宮により掛け替えられた。

風日祈宮橋


風日祈宮のご祭神は、伊弉諾尊の御子神で特に風雨を司る神、級長津彦命、

級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えるので神宮では古より正宮

に準じて丁重にお祭りしている。

風日祈宮

風日祈宮橋


参道に戻り、神楽殿脇を通り御厩から休憩所でもある参集殿方面へ向かう。

途中の右手には、神宮につきものの神池があるが、水質だけは神の力では

どうにもならないよう。まあ、神社の池は汚いのが日本の通説であり、そ

の神社の総元の池がこれならばと納得するしかない。しかし、鯉を飼う池

の水は透明度は高くキレイなもの、これは神の力なのか、ろ過装置の力な

のか神のみぞ知ること。

神池

鯉池


内宮のお参りも無事終え、再び宇治橋を渡り内宮を後にする。宇治橋は、

聖界と俗界との架け橋といわれ全長101.8mの純日本風木造反り橋。

宇治橋

 

宇治橋の外側と内側に立つ鳥居は、外宮・内宮それぞれの旧御正殿の棟持

柱が使われ、20年に一度の遷宮にて、橋は架け替えられ、鳥居は建て替

えられている。外宮・内宮・別宮そして鳥居、架け橋まで、木造により造

られ、建築にも関わる仕事柄(一応一級建築士)も感服するばかり。

おはらい町


これで、お伊勢参りの主用参りが終了し、近くの別宮や名所を巡ることに、

でもその前におはらい町で、一休み!?

 

それでは、腹ごしらえをした後は、猿田彦神社へ〜 

お伊勢参り靴つづく

 

 

うぉータン | 水辺散歩 | 16:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

お伊勢参り

伊勢神宮 外宮

 

人生一度は行きたいお伊勢参り、江戸時代から庶民の夢であった伊勢神宮

へとお参りに。今年は、G7による「伊勢・志摩サミット」が5月26日

〜27日に隣接する志摩市賢島にて開催されたこともあり、一段と注目を

浴びた観光スポットとなった。

一度は訪れたことのある伊勢市だが、多くの観光番組でも紹介されNHK

ブラタモリでも紹介されたのでブラリ訪れてみることに。仕事のついでか

ついでに仕事かは定かではないが、言い訳を言いながらの伊勢志摩観光を

行ったことがない人、行ってみたい人のためにチョイとご紹介!?

伊勢神宮は、衣食住の神様を祀る外宮(豊受大神宮)、日本人の総氏神様

を祀る内宮(皇大神宮)があり、その他に御正宮の分宮として格式のある

別宮が14カ所、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社ある。

全てを回ることはできないが、御参拝順路としては、先ずは外宮から内宮

できる限り多くの別宮をお参りをすることに。

 


伊勢神宮の玄関口は「JR伊勢市駅」名古屋からは近鉄特急でも来ること

ができるが、新幹線の乗継ぎが便利なJR快速みえ3号で伊勢市駅に到着。
伊勢市駅を降りれば正面に大鳥居があり、外宮へと向かう広い参道がある。

 

 

さすが、お伊勢参りの入り口らしく、道の両側には伊勢名物の土産物屋や

食堂が連なっている。物見遊山でそぞろ歩けば、正面に外宮の杜が現れる。

 

 

信号を渡れば、もうそこは外宮、火除橋を渡り左手にある手水舎で手と口

を洗い清めてから参拝をする。左手に、勾玉の形をしているという勾玉池

があり、池畔には舞楽の舞台が常設され、中秋の名月の宵には神宮観月会

が行わる。花しょうぶもキレイに咲き誇り、雨のしずくが美しい。湖畔に

は20年一度行われる遷宮の資料を展示するせんぐう館もあるが、今回は

パスをしていざ外宮参拝。

勾玉池


表参道の入口に、先ずあるのが第一鳥居。伊勢神宮に来たときだけは鳥居

の下を通るときには、深々とお辞儀、敬礼をするのが日本人のたしなみ。

第一鳥居

 

続いてあるのが第二鳥居。鳥居をくぐり玉砂利を踏みしめてやさしい木漏

れ日のさす参道を歩けば自ずと清々しい気持ちになってくるから不思議だ。

両側には古木が立ち並び、いよいよ神様の元へ近づいている感がしてくる。

第二鳥居

 

右手に神楽殿があるが、通り過ぎ歩けば右手に御正宮の建物が見えてくる。

手前は、古殿地と呼ばれる遷宮にて、次に御正宮が建て替えられる場所だ。

御正宮


そして御正殿の正面へ立つ。内部は写真撮影禁止なので写真はここまで。

心を清め、衣食住の神様に感謝し、良きことがあることを願い参拝をする。

御正宮

 

 

御正殿参拝の次は、外宮内にある別院を回る。参道を少し戻り神池を過ぎ

右手には、外宮の土地の守り神である大土御祖神が祀られる別宮「土宮」。

土宮

 

さらに奥へ進めば外宮に所属する四別宮のうち、第一に位する「多賀宮」。

ご祭神は豊受大御神の荒御魂あらみたま。神様の御魂のおだやかな働きを

「和御魂にぎみたま」と申し上げるのに対して、荒々しく格別に顕著なご

神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえられる。

多賀宮


多賀宮をお参りして戻り、土宮に相対する位置に風の神である級長津彦命

と級長戸辺命をお祀りする別宮「風宮」がある。鎌倉時代の2度の元冦の

ときに神風を起こして日本を守ったとされる。

風宮


神楽殿手前から左へと進み北御門参道を行くと、御厩があり鳥居を潜り

火除橋を渡れば、外宮北御門から外部へ出られる。

北御門鳥居

 

外宮北御門から神路通を行くと、天照大御神の弟神で内宮別宮月夜見尊

をご祭神とする別院「月夜見宮」がある。月夜見宮は、月夜見尊と月夜

見尊荒御魂を一つの社殿に合わせてお祀りしていて、樹齢数百年の楠を

始め、たくさんの木々に囲まれた神域は、静かで穏やかな佇まいだ。

月夜見宮

 

再び神路通を外宮へもどり、神楽殿脇にある社務所にて御朱印を頂き、

外宮参拝は終了、バスにて内宮へ向かうことにする。

 

引き続いて内宮ご案内 お伊勢参り

 

うぉータン | 水辺散歩 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

広瀬川ぶらチャリ

広瀬川サイクリング


5月となり天候も安定し新緑が美しく、毎日の自転車通勤も目に優しく楽しくなる。
最近、自宅近所を流れる広瀬川に新橋が架かって、今まで迂回していた経路が直線
となり1〜2分の時間短縮となった。通勤が、スムーズになるのは良いが、今日は、
天気も良いので仕事場へ直行せず、新橋手前を右折して広瀬川緑道沿いを上流に向
かいゆっくり自転車で走ってみる。





広瀬川は、前橋市街を流れる利根川水系の一級河川、北に位置する渋川市北橘町で
利根川より分流して、伊勢崎市にて再び合流する。(前橋広瀬川)前橋市中心街を
貫き流れ、市街地の両岸には親水緑地と遊歩道が整備され、多くの市民に親しまれ
る都市河川だ。緑地には桜が植えられ1ヶ月ほど前には満開の桜が飾り、今は新緑
が萌える美しい景観を造り出している。



中心街を過ぎると、側道が一部途切れるが、再び前橋公園の北側にある柳原水門に
て流れを見ることができる。前橋公園は、明治38年に開園した市内で最も古く歴史
ある公園で、鶴舞う形の群馬県を形どった「さちの池」や、懐かしさ満点の遊園地
「るなぱあく」などがあり市民の憩いの場となっている。
柳原発電所



この水門は、群馬県企業局柳原発電所への分流のためで、広瀬川にはここから渋川市
の取水口までの約10km間に、群馬県企業局が柳原発電所、小出発電所、関根発電所
田口発電所の4つの発電所を、その他にも東京電力前橋発電所と(株)カーリット広桃
発電所の計6箇所の発電所がある。



小水力発電は最近注目をされてきたが、決して新しいものではなく、群馬県では古
くから整備されていた。東日本大震災以降、にわか自然エネルギー派が多く現れ、
太陽光、風力、地熱等々エネルギー転換を騒いでいるが、どれも安定した電力とは
ならず本格的対策にはなっていない。国の買取り政策にて、一儲けしようと大規模
な太陽光発電所が、数多く設置されたが、天候が安定しなければ発電効率は低下し、
買取り価格が下がり採算がとれなければ長続きしない。より問題と思うのは、無機
質な太陽光パネル等を自然の中に設置すること自体が、環境破壊であり日本の美し
い景観を台無しにしてしまうことだ。



太陽光や風力発電は、人工物の建物に設置して自己用電力を賄う程度が良いと思う。
その点、水力発電は、水を消費すること無く水の流れにより発電機を回転させるの
だから、再生可能エネルギーの優等生であり、発電効率は、原子力や火力に劣ると
しても、水量が豊富で一定の勾配をもつ日本には最適な発電方法だろう。
今後、技術革新により効率的な発電機が開発されれば、より高出力発電を得ること
ができるだろう。広瀬川にも、もっと簡単に発電設備を設置できるかもしれない。
もっとも、如何なる発電方法でも発電所の建設・運転は環境破壊には変わりなく、
無駄な発電は行わないこと、電気をできる限り使わないことが、環境に一番やさし
いことを忘れてはいけない。



柳原発電所を過ぎしばらく走ると、広瀬川は暗渠になり流れを見ることができない。
その経路上に「小出発電所」が現れ、西側には、群馬県のスポーツのメッカである
群馬県立敷島公園がある。陸上競技場、野球場、ラグビー・サッカー場、プール、
テニスコート等が有り、現役時代には毎週のように訪れた馴染みの場所だ。5月の
連休中は、隣接する前橋浄水場の開放があり、多くの見物客で賑わっていた。
小出発電所





さらに進むと左側(右岸)に東京電力の「前橋発電所」がある。広瀬川にある最も
古い発電所で、1933年運用開始から83年経っているのだから水力発電は長命だ。
原子力発電がいくら高効率でも、耐用年数40年と言われるので、電力会社も国家も
効率や利益優先にて原子力発電を推進するのではなく、水力発電中心にしていれば、
今日の問題は発生しなかったのでは?!。
前橋発電所





前橋発電所を過ぎ、左に群馬大学を眺め走ると、広瀬川正面に関根発電所が現れる。
広瀬川を遮るように設置されているので、全水量利用の大きな発電容量なのだろう。
関根発電所





関根発電所の貯水池を過ぎると、広瀬川西側に群馬総合スポーツセンターがあり、
多くの人々がスポーツを楽しむ。主にアリーナ、体育館、武道館などの屋内競技
場が整備され、敷島公園競技場と共に、群馬県のスポーツの主会場となっている。



スポーツセンターの北側には、数年前開通した国道17号線前橋渋川バイパスが走り、
広瀬川上は高架橋となっている。前橋市街から唯一、広瀬川の上に被さる高架橋だ。



高架をくぐると正面に水門がある。この水門から、前橋市の北部を流れる桃の木川に、
分流をしている。そして、この水門周りだけが整備されておらず、側道も途切れる。
遠回りも面倒なので、水門脇の未舗装の畦のような道、空き地を自転車を押して通り
抜けると、再び側道となる。
何年経っても同じ状況なのは、土地収用の問題か?国道工事の影響なのかは定かでは
無いが、早く側道を開通させて欲しいと願うばかり。



そして、またしばらくにて、横断道路にて側道が途切れ、上流に田口発電所を望み
左は利根川沿道に近接し、利根川の向こう側には榛名山が美しく連なる。



上流へ向かう道を探し、右集落の中の生活道を抜けると正面に発電所施設が現れる。
国道17号に面した入口から進入すると、正面に「田口発電所」正門、右手に(株)カ
ーリットの「広桃発電所」、間の小道を行くと「広桃発電所」貯水池の脇に出る。
田口発電所   広桃発電所






流入水路に沿って行けば国道17号にぶつかり、気を付け横断すると「広桃発電所」
の流入水路が国道沿いに流れ、その東側を「田口発電所」流入水路が流れる。



二つの水路を流れる水は、発電所から1.5kmほど上流にある阪東橋脇取水口より、
取水され、計6箇所の発電所にて利用されても、水量を浪費すること無くさらに
流れて再び利根川に合流する。この間には、農業用水や工業用水と様々な用途に
利用され、市街地では市民に潤いを与えてくれる。
広瀬川の水が、私たちの経済や生活を支えてくれていることを実感する。



取水口付近は暗渠となるため、国道17号に出ての利根川に架かる阪東橋を渡ることに。
阪東橋は、古くから渋川市の入り口として年中混雑していたが、関越高速道やバイパ
スが開通した後は、交通量はめっきり減り通りやすくなった。



自転車で橋の歩道を行き、渡り切ったら河川敷へと下りてみる。利根川西岸には公園
が整備されプールやゴルフ場なども有り、渋川市民の憩の場所となっている。
川岸に腰を下ろし、堰を流れる水飛沫を眺めていれば、疲れも吹き飛び気分爽快だ。



利根川の西岸には、利根川サイクリングロードが、この上流の吾妻川合流まで続い
ているので、もう少し足を伸ばしブラチャリを楽しむことにしよう。

気分が向いたら続く
 
うぉータン | 水辺散歩 | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
1/23PAGES | >> |
                                
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< December 2016 >>
     
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
OTHERS
LATEST ENTRY
CATEGORY
ARCHIVE
LINKS
PROFILE
SEARCH